JCO社長土下座す
□ JCO社長土下座す
土下座というのは日本男児というものにとっては自分の尊厳を維持するための最後の切り札、いわば明治に禁止された切腹の代用品である。土下座をつくほど屈辱的なものは無く、また土下座をされるとされたほうは二の句が告げなくなる。土下座=尊厳の放棄=死んだも同じである。
さて、原子力発電は動いている。これによって電気代も安くなっており主婦は大助かりである。いきなり原子力発電所がとまるとまずテレビが見れずインターネットができない。真夏ならばクーラーが効かない、これはサラリーマンには致命傷である。
これと多くの人々のまだ見ぬ死や苦しみを天秤にかけるには、あまりに想像力が枯渇している。今日の巨人戦を見れれば死んでも好い、と思ったことの二度三度はあったろう、自分が死んでも良いのだから他人が死んでもなんとも思わぬというのが道理だ。これは致し方ない。
子供を救うために命を落とす親がある。子供を救うためにだが自分の命も守るのが当然と考える、また子供よりも自分の命を優先するのが合理的だが、世間はなかなか許さない。
大切なものを守るために人は命を捨てることがある。原子力なるものがあるのもそういったことに起因するかもしれぬ。 (硝石)
[19991006/22:09]