裁判官、タクシー運転手を雲助呼ばわり
□ 裁判官、タクシー運転手を雲助呼ばわり
京都地裁で行なわれたタクシー運転手が被告の裁判の判決の中で、一般にタク
シー運転手には雲助まがいのものが多く見受けられるというようなことを裁判
官が言ったために、タクシー運転手の労働組合などの諸団体から抗議が相次ぎ、
裁判官が処分されるということがあって、しかしこの雲助というのは悪口であ
るのは解るがどういう言葉なのか知らなかったので調べたところ、江戸時代に
駕籠を担いでいた人夫の中で街道や宿場を方々まわっては定住していなかった
ようなのを指す言葉らしい。さらに研究社の和英には
雲助運転手 a villainous [dishonest] taxi driver.
というそのままの項目もあり、悪徳タクシー運転手を雲助呼ばわりするのはそ
れなりに一般的であることも解った。
この裁判はタクシー運転手に殺害された人の遺族がその運転手とタクシー会社
を相手に損害賠償を請求していたもので、判決はこの訴えを全面的に認めるも
のであったので、恐らく判決文ではこの賠償請求を正当なものにするのに足る
根拠が述べられていたはずで、つまりこのタクシー運転手がいかに悪いことを
したのかということを表現する言葉の一つとしての雲助呼ばわりであったのが、
何故か一般にタクシー運転手はという表現になってしまったと思われる。
この裁判官がタクシーに乗って酷い目にあったことがあるのかどうかは解らな
い。あるいはタクシー運転手に対する偏見、または嫌悪などがあったのかどう
かも解らないが、雲助というのがタクシー運転手への悪口として一般的に使わ
れているのは事実で、もちろんそれが一般的なのと、タクシー運転手が雲助ま
がいなのが一般であるのとは別の話であるが、雲助という定型の表現がある以
上、タクシー運転手を悪く言うのにこの言葉を使わないのは惜しい気がするの
も確かで、この判決中の表現に対してタクシー運転手の労働組合が抗議したと
いうのも、何か癪に触る悪口を言われてかっときている様子が浮かび、微笑ま
しい。
悪口を言う時に使う言葉は何とかうまく相手を罵ってやろうと工夫を凝らした
形跡があって、それが江戸時代には駕籠を担ぐ人夫に向かっていたのが今では
タクシー運転手に向けられているというのも言葉の移り変わりを目の当たりに
したようで興味深い。相手を怒らせてやろうと工夫を凝らした言葉を投げれば
相手はそれに反応して激怒する。裁判官という極端に人間的な部分を排除した
存在であることを求められるものが、このようなごく人間的なやりとりの渦中
に入るというのは、要するにただへまをしたということに過ぎないが、めった
に見られないものが見られたのは確かである。 (池)
[19991110/05:11]