G・Gシペートのような、小説をたんに修辞的、技術的なものとして、芸術的な側面を見ないというのは基本的には誤っているが、詩の文体をしたじきにした現代の文体論では、小説の言葉をとらえきれない、ということを浮き彫りにしてくれる。さらには、修辞的な視野を小説に対して持つという点にかんしては積極的な意義がある。もしこの修辞というものに対して先入観をもたず我々が検討すれば、小説のあらゆる諸側面が、はっきりとした形で開示されるはずだからである。
 修辞的、技術的散文の様々なジャンル、社会評論、道徳、哲学は、小説ときわめて密接な関係をもってきた、これは芸術の様々なジャンルである、叙事詩、劇、叙情詩との相互関係に劣るものではない。
 しかし、この小説の言葉は、かかる修辞的ジャンルとの普段の関係においても、小説独自の特性を保っており、修辞的ジャンルとの相互作用によっても生まれている小説というものを、たんに修辞学的な判断においてのみ考えるというわけにはいかないのである。