ヨーロッパの詩的言葉、イデオロギーは、つねに統一し中心化する方向へと向かっていった。またその歴史過程も、言語の統一化への道の表現である。単一の言語とは、もともとからあるものではなく、なにものかが規定しなければ生まれはしない。これは日常生活の言語的な多様性に対立するものである。
 しかしこういった言葉の中心化というのは、あるていどの場所で、口語と標準語というものをつなぎとめる力として有効にはたらいている。
 単一の言語とは、もともとあるものではなく、なにものかが規定していかなければいかない。言語的な多様性をおしのけ、単一の言語をつくるということは、言語の核をつくり、中心化していく積極的な力である。

 しかし、我々が求めているのは、実際のコミュニケーションにおいて最小限の理解しか保証しないような範囲の言葉ではない。我々がとりあげる言語というのは、文法的に保証されてしまうような、最小限の体系を持つものではない。それはイデオロギーに満たされ、最大限の相互理解を保証するような言語である。