1920年ごろになると小説の文体を考えるものもふえてきた。そのどちらも、詩の文体に関する考え方を下敷きにしていた。
 おおまかにはふたつの考え方。一つは小説を散文として、まったく詩に近い所で、散文の文体として考える。もう一つはその詩とは小説はまったく違うのだということ。小説というのは詩とは根本的に違うもので、よって文体も詩の文体を考えるように考えてはならない。という考え方だ。

 だがこれらふたつの方法は、とどのつまりは小説の文体について詩というものを基準に考えている。なので、詩の文体についてはともかく、小説の文体についての考えは分からなくなるばかり、というふうな成果しかあげていないように思える。
 詩の文体というものと小説の文体は違う。しかし文学とは詩と小説も含んだものだから、文学の文体というものがあるのなら小説の文体というのはとうてい含まれる。
 小説の文体について考えることは文学の文体というものをどれだけ考えているかの試金石になるし、詩の文体を考えるだけでは足りない。