詩の言葉と小説の言葉


今までの文体論では、言葉の異なった階層の間に生じる対話というものに対して視野にいれてこなかった。他者の言葉、異なった階層にある他者の言葉との対話は、我々に重要な散文的芸術性というものを見せてくれる。
今までの伝統的文体論が大切にするのは自己の表現であり自己の言語であり自己のとらえかただった。伝統的な文体論においては、異なった階層にある他者の言葉というのは、単に中性的言葉、誰のものでもない言葉であった。
伝統的文体論においては、自己が語ろうとするときの生涯というのは、その語ろうとする対象が語り尽くせるものではない、というような徒労であって、そのときに異なった階層の言葉を持つ他者に出会うことはない。誰もこの直線的な言葉を妨げはしないし、それに反駁するものは誰もいない。
 しかし、生きた言葉が、自己を持ち、その自己が対象を語る、というのは、異なる階層の言葉、他者との相互作用の過程によって生まれるものである。