20世紀になり小説の言葉である文体論について考えられるようになり、またそれは文学というもの全般の文体を考える試金石となることを述べた。あるときは詩の延長にある散文、その散文の発展したものとして小説というものをとらえる、詩の文体論の延長として小説の言葉が考えられてきたし、またあるときは詩とはまったく別のものである小説というものをとらえる、詩の文体論について根本的に考え直すべきだと考えられた。20世紀から考えられてきた小説の言葉である文体論は、結局詩の文体論をふまえなければ考えられなかった。
 詩の文体論をふまえない考え方としてあるのは、たとえば文体をより古典的に考える事である。つまり小説の文体というものをたんに修辞的、技術的な方法として見るのである。小説の美的な、芸術的な価値については排斥する。この考え方の最も徹底した形としてG・Gシペートの意見がある。G・Gシペートは、小説を道徳的宣伝の現代的形態とし、その中にあるとされている詩的かつ芸術的な側面については排除し、文体についてあるのは修辞的、技術的なものであるとする。