夏目漱石とバフチン
夏目漱石は文学論というものを行い。おそらくバフチンの言うような総合的な文体論というものに、のっけから出くわしてしまった。これは気の毒。
それから夏目漱石という男と、文体というものの考え方との格闘が始まった。
柄谷行人はこれについては漢文と英文学のギャップについて語りそこから観念のドラマが生じている。
「あれだけの書き方が何故出来たのか?(漢文も英語もできた教養の違い?(勉強しろ、修行しろ))」といったり、「日本で「猫」以上のサタイアは出ていない(俺はものを知っている)」、などの馬鹿な骨董趣味はさておいたとしても、夏目漱石はいろいろ面白い書き方をしたのは子供からお年寄りまで幅広く楽しめるということからも分かる。
そこに漱石の文学論というのをもってきて、バフチンの文体論というのを持ってくると、了解できる話も多い。
内容はちょっとしか呼んでないが、英語の小説を抜き出してきて「味覚」とか「嗅覚」といった細かな要素に分けて語る。こういった方法は中国の小説論の伝統にあるらしい。