腕くらべ (永井荷風)

 帝国劇場の幕間にばったりと再開する紳士吉岡と芸者駒子。駒子はその昔駒三といって吉岡がまだ西洋へ留学をする前、始めて新橋で芸者というものを知りそめた頃のなじみ深い芸者だった。まだ駒三は十七八で自分は二十五だった。  相変わらずの右の糸切り歯が子供っぽい駒子の笑顔に、吉岡はその二十五に西洋へ留学をする前、始めて新橋で芸者というものを知りそめた頃の事を思い出しながら、帝国劇場の舞台から漏れ聞こえる合方の三味線を聞き感慨にふけるのであった....。

 ぜんたい昔は吉岡もうぶな時期があったその頃は芸者と言う物も凄艶に見えたものだが今はもうだいたいが遊びなれてしまって、さらにその遊びごとで厄介なことが多くなってきてしまい、さてまあなんて遊び方面まで利口になってしまったのかとも思う。
 思えば留学が終わり今の会社に入社して、よく働いた。株式に手を出して財産も作り、よく遊びよく飲んだ。会社はあっという間に営業係長の要路に用いられ社長や重役から珍しい才物などと呼ばれてい同僚などからも一目置かれる存在であるだけに確かに財産もあり遊びも派手だ。

 そんな営業係長吉岡は一人芸者を見受けしたが、ただの芸者ではつまらないというので新橋に湊屋という看板を出している力次という女にした。この湊家の力次は名前と同じくどこへだしても姉さんで通るような芸者であって、これは芸者の一人や二人ものにしておけば、仕事をしていく上で宴会やなんかで何かの便利になる無駄なものいりが省けるということで、こっちから打ち込んだふりをして手に入れていた。
 吉岡にはさらに浜町の「村咲」という待合のおかみも妾同様にしている。これは以前「村咲」のおかみがまだ柳橋の女中をしている頃、酔った紛れに手をだして、吉岡が酔いから醒めてみるとこんなお茶屋の女中なんぞに手をつけたという事が日ごろ宴会で出会う芸者仲間に知られてはたまらないと後悔したのが女の付け目。一切このことは秘密にして後腐れなしにするということで吉岡が待合「村咲」の開業資金を内々で工面した。
 浜松の待合「村咲」は運良く繁盛して毎夜お座敷が足りない位の景気。吉岡はそうなってみると自分が出した少なからぬ資金を出しっぱなしにしておくのもばかばかしいという気が起こって、飲みに行くついでに内緒でまたおかみと関係をつける。だがしかしおかみの風体も芸者と比べると厚苦しい感じで、色の白い肉付きのいい大柄の女で今年三十になる。毎度呑みにいって淫欲のついでに関係をつけるが、つけたそのたびに後悔して、後悔してはまた関係をつけるという腐れ縁
 吉岡はそれやこれやの利口な遊びをならべたてながらつくづく駒代が十七八で自分が二十五であった、まだ芸者というものを知りそめた頃というものを生まれて初めて思い出し、馴染みを重ねたその無邪気な頃というのを、何となく芝居か小説でも見るような美しい心持ちがしてくる。。
 そんな営業係長吉岡と、一緒に帝国劇場に来ていたのが吉岡の太鼓持ちの江田君太鼓持ちの江田君は太っていて背が低いが穏和な人物で、芸者なんかと遊んでもあら江田さんはひょうきんな方などといわれると調子にのってよけいにはしゃぎだすという体だが、江田君の長女はもう嫁の口を探さなければならないようなお年頃という吉田の太鼓持ち。  江田君は汗っかきですでに玉のようなあせをかいていてそれをハンケチで拭きながら係長吉田の話を聞く。何ですか、まさか拙者を出し抜いて新色のおのろけじゃありますまね、江田君は自分のことを拙者という。さてそこで吉田は江田君にだいたいを話して七年も駒三が引いていたのには訳があるだろうし、誰に世話になっていたのか仔細を聞いておかないと友達の女と知らずにくどいてできてしまって恨まれるのはよくある話だなんて言っているとさすがに係長の太鼓持ちだけあって拙者が一度とにかく駒子を拝んでおきましょう。とか言って帝国劇場を二人は後にする。