以下は我々プロ文連がお世話になっている、ある知識人が多喜二を通して読んだときの感想である。元々個人のメモのために書かれたものだが、このままで紹介になると判断したので、私的な事項を除いてここに掲載する(が、あくまでもこれは個人の主観的な記述であることはお断りしておく)。言及されていない作品などについては、追って紹介文を書く予定である.

★98年12月29日(火)

 『定本 小林多喜二全集』の第一巻を読み始める。
 「健」は成金のおばに引きとられて都会の学校に入る少年の話。おばの自分に対する態度や学校での苛めから田舎(秋田。これは多喜二の故郷だ。自身の少年時代が投影されているのだろうか)に帰ることになるというもの。
 「継祖母のこと」。若い継祖母が、継祖母であるがゆえに陥る苦境から自殺する話。文章が変、テニオハがおかしい。
 「薮入り」は、弟を犠牲にして働かせ、自分は上の学校に行っていることを苦にする兄が、その弟の薮入りを恐れながら待つ。階級闘争が家庭内にあるようなものである。
 「ロクの恋物語」。三角、四角関係もの。話としてそこそこ面白い。
 「或る役割」。女からモーションをかけられてその気になって捨てられた学生が、外国語大会へ行く途中その女に出会う。その経緯について一通りの回想が終った時、その外国語大会のシーンになる。学生がやるのは「チルチルミチル」に登場してミチルにまといつく豚の役である。ひどい(笑)。
 「暴風雨もよい」。学校で、教授仲間からも学生からも疎外される教授が、家に帰っても待つのは冷たい妻、という救われない話(笑)。
 「駄菓子屋」。近所に新しい商売敵が出来て斜陽になる古い駄菓子屋の婆さん。
 「彼の経験」。画家の恋のはなし。
 「田口の「姉との記憶」」。田口という友が語る、その姉の話。貧しい家庭の中で家の手伝いをしながら女学校へ通っている姉。やがて小学校に赴任するが自殺してしまう姉についての回想。姉が小学校の先生になって以降は、自殺したと書かれているだけで、具体的な記述がないので、何だかよく分からないものになっている。その辺から推察するに、実話か?
 「龍介の経験」。これも青年の恋の話。私小説的なものらしい。
 「師走」。小林が、初期の作品の中でここで飛躍があると言っていた作品なので期待したが、なるほどそうかもしれない。ただ、小林はここで急にうまくなっていると言っていたのだが、うまい下手とはちょっと違うかもしれない。迫真性が出ているとは思う。多分、瀧ちゃんとのことがあってだろう(年代は調べてないが)。
 「父の危篤」。
 「人を殺す犬」。タイトルそのままの話。比喩でもなんでもない。

 『定本 小林多喜二全集』の第一巻、「万歳々々」。これは珍しく明るいほのぼのした恋愛もの。した働きをしている女が私に贈ってくれうのが「ゴールキー」で、私が女に贈るのが「メリヤスの股引」である(笑)。
 「女囚徒」。戯曲。

★98年12月30日(水)

 『定本 小林多喜二全集』の第一巻の残りを読む。残りは原稿のままのものとか、ノートのもの。生前未発表の作品ということだろう。
 「龍介と乞食」。乞食を見ると助けてやりたいが、それがまた恥ずかしい、というような、早い話しがそういうもの(笑)。
 「ある改札係」は、万年改札係のおじさんの話。家庭の様子なども出てくる。まあ、要するに中年の悲哀である(笑)。
 「来るべきこと」は、やはり瀧ちゃんのことなのだろう、夜間学校の先生と女生徒(売春婦をやっているらしい)の話。小林が言っていた循環小数が出てくる。
 「雪の夜」も同じく、瀧ちゃんものだろう。

 『定本 小林多喜二全集』の第二巻を読む。
 「残されるもの」。売春屋の女たち、玉子、光代、時子。その近くの住宅に銀行員の夫婦が引っ越してきて、という話。売春屋を、そこにいる女たちの目から描いたもの。
 「最後のもの」は、貧しい家の女の子、母親と弟が病気になり売春をすることになるという話である。売春する場面は描かれず、それは話の落ちとしてもってきている。だから、中心は、なぜそういうことになったか、の過程の話である。まず亭主=父が死ぬ。残された母親は幼い子供を他所にやる。残った長女が売春に、という形である。彼女を救おうとする哲夫という工員が出てくる。その哲夫の送る手紙に、ゴールキー(ゴーリキー)の「超人」の話が引用されている。
 「誰かに宛てた記録」は、貰われて行った子供(女の子)が学校の先生宛に書いた作文の体裁をとっており、作者小林はそれを拾ったという枠が作ってある。原稿用紙が抜けているとか、子供の作文だからというので文章が整わない風に作ってあって泣ける。
 「瀧子其他」これも売春屋の女たちの視点によるもの。瀧子、光代、初恵。初恵が逃亡したりするシーンはあるが、瀧子がやはり中心になっている。瀧子は身受けされてまた戻ってくるということになっている。最後の最後には、火が出てこのあたり一帯が焼ける。
 「瀧子其他」が完成度が高いように思う。というか、それまでの一連の売春婦(インバイといった方がいいが、漢字がすぐにでないので、売春婦と書いておく)ものの集大成のように思ったのだ。
 が、この巻で一番長い「その出発を出発した女」、これは長編を目指して未完、中編にとどまっているものらしいく、かつ異なる原稿が二つあるが、これがまた同じテーマである。ここでは、玉子、光代、文子。文子の視点が多い。最初の原稿では文子と、安本という客との恋が描かれている。二つ目の原稿では、玉子と客(鳥打帽子の男)との関係などが入って来る。後者では文子が逃亡を試み、たまたま出会っていて学校時代の同級生のところに身を寄せることになっている。
 この辺の女たちのキャラクターは、同じ様な名前が使われているけれども同じではなく、例えば「瀧子其他」の瀧子が、「その出発を出発した女」の玉子に似ていたりする。どうも、客との恋、逃亡、諦めといったところが、通過儀礼的に描かれているところもある。だが、「その出発を出発した女」の文子は、そうした、他の女たちの通常の経路を拒んでいるようなところも描かれる。
 キャラクターばかりではなく、道具建て(バーや売春宿の名前とか様子とか)や、ここに至る経路(コークスを拾って燃料の足しにするとか、豆の選別工場で働くなど)など、細部はあっちこっちで同じものが使われている。
 「瀧子其他」あたりに、循環小数の話が出ていたように思うのだが、今改めて探してみると見つからない。
 最後の「山本巡査」は戯曲。労働争議で、山本巡査と上司との会話から、山本巡査が倒れるまで。第二場、山本巡査の家。山本の足が不自由になってからのシーン。それでも山本は自分の行為が国のためになったと考える。第三場、労働者の集会で演説し、国家や資本家のために働いていたのに裏切られた自分のことを語る。これは夢ということになっている。第四場は、山本巡査が自殺した後、同僚の巡査たちの会話。山本への同情。
 途中、演説のシーンは劇場を集会の場面そのものとみなして、劇と観客を結ぶという試みがなされている。
 
 『定本 小林多喜二全集』の第三巻を読み始める。
 最後に収められた「監獄部屋」から。これは「人を殺す犬」の改作改題のノート原稿。文学的には「人を殺す犬」の方が優れているかもしれない。私の言うことじゃないが(笑)。「監獄部屋」の方は明らかに「プロレタリア文学」である。そして、多喜二の評論を読むと、多喜二自身が目指したのは明らかに後者になっている。

 途中墓参りなどしながら、『定本 小林多喜二全集』の第三巻を読む。
 「防雪林」。これも未定稿らしいが、中編としてかなりまとまった始めての作品で、完全に「プロレタリア文学」。石狩川沿いの百姓の搾取されている生活を描く。そして、それならばどうするか、が、今までの作品と違って明確な形で出ている。もっとも、団交に向かったところが待ち構えていた警察につかまり失敗、最後は主人公一人が地主に放火することになっている。その点ではシステム(作品中では「からくり」と言われている)の問題ではなく、むしろ、ヒロイズムが先行している。実際の小作争議に取材しているようだ。
 「一九二八年三月十五日」は中編。小林から聞いていたが、私の印象はいまいち。拷問のシーンなどが目立つが、登場人物が多く、その分だけ力が分散しており、全体に深みはない。最初は検挙された男の妻たちの視点によるシーンが入っていて、そこはよく書けていると思う。マルクス、レーニン、ローザなどの名が出てきて、妻たちがそういう名を口にするシーンが可笑しい。警官が愚痴をこぼすシーンがある。128頁に循環小数が出てくる。
 「東倶知安行」。選挙運動のために倶知安へ行く話。ここで目立つというか、重要な要素として出てきているのは、老人である。社会のことが分かっていない老人と、何十年も運動をやってきた老人と。180頁に、「意識」という言葉が流行っているとある。

 『定本 小林多喜二全集』の第四巻を読む。
 「蟹工船」。
 さすがにこれは面白い。

 が、途中で寝てしまい、気付いたのは、某からの電話だというので起された時だった。

★98年12月31日(木)

 『定本 小林多喜二全集』の第四巻を居間で読む。
 「蟹工船」の続き。やはりロシア人との出会いの場面が圧巻。蔵原はこれが集団に目が行っていて個人が消えている、「一九二八」と逆になっている、と言っているが、私は「一九二八」では個人の心理を描くのはいいが、その視点が大勢のものにに分散していて求心力がないので感心しなかったし、逆に、「蟹工船」は個人の心理を捨てて(といっても、全面的にではないが)事柄の推移そのものに焦点を当てているのは成功していると思った。
 「不在地主」は、「防雪林」の改作だということになっているが、もうまったく別の作品になっている。「防雪林」は、搾取や、都会で女給をしていて大学生に妊娠させられて捨てられて村に帰ってきた芳の自殺などの悲惨な事態があって、それに対して、一言で言えば、「必殺仕置き人」のような単独の復讐になっている点でロマンティシズムが見えるが、「不在地主」にはそれがほとどない。主人公も「防雪林」の源吉とは違っている。源吉は、シャケの密漁でもそうだったように、始めからやるとなったらやるというタイプに描かれており、だから行動は単独だし、自覚していく過程はないが、「不在地主」では
「模範青年」として表彰されていた主人公が、やがて運動に目覚めていく過程、というものが出てくる。それは同時に、集団での活動の必然性とつながっている。だから、搾取されている事態の悲惨さ(自殺する隣家の娘のエピソードも非常にあっさりと描かれる)そのものよりも、その構造が中心に描かれ、それに対してどう行動するかの問題になっている。節が細かく分けられ、記述はそっけないといってもいいほどで、「防雪林」と比べれば、むしろ「切れ」の方を重視しているといった趣がある。

 『定本 小林多喜二全集』の第五巻。
 「暴風警戒報」は、多喜二自身が言うように、「蟹工船」や「不在地主」とはちがって、政論的要素の強い作品で、読んでいて面白いものではない。

 『定本 小林多喜二全集』の第五巻。
 「救援ニュースNo.18.附録」。これは「誰かに宛てた記録」の改作改題。やはりこちらの方が露骨になっている。多喜二が一番気に入っていた作品らしい。
 「同志田口の感傷」。これも「田口の「姉との記憶」」の改作改題。これはそれほど変化している印象はない。
  
 『定本 小林多喜二全集』の第五巻続き。
 「工場細胞」。タイトルが象徴しているように、小作争議や蟹工船での反乱のような表立ったものではなく、運動は深く潜行して進められる。三・一五などでの挫折を経ているためだろうか。したがって、ますます具体的なアクション(活劇)は少なくなり、いかに目立たず組織するかの問題に焦点は移っている。「これらの運動は、街へ出てビラを撒いたり、演説をしたりすることではないんだぞ」(119頁)。それによって組合や党の指導を表に出さずに労働者の「自主的」な活動としての集会の成功を際立たせている。そのため、舞台も「近代的な」工場に場所がとられている。そこには、蟹工船や農場でのような直接的な暴力や搾取はすでにない。だからこそ、組織化が必要とされるわけであるが。中で、産業資本から金融資本への移行にも触れられている。
 しかし、作品は一人の主人公の視点から描かれている点で求心力を保っている。
 お君ちゃんという女工が生き生きしている。
 「市民のために!」は、無知の罪を暴く小品。
 「健坊の作文」は、『少年戦旗』に掲載された童話(?)。
 
 多喜二を少し休んで、前に読みかけだった赤瀬川原平選『全日本貧乏物語』
の残りを読んでしまう。つまらない(笑)。

 『定本 小林多喜二全集』の第五巻続き。
 「工場細胞」の第二部との断わり書きがある、「オルグ」を読む。「工場細胞」の最後で、集会での団体示威行動には成功したものの、捕まってしまった森本、その裏切りから話は始まる。森本が好きだったお君ちゃんは、裏切りを知って悩む。彼女は、運動と恋愛とが切り離せるものではないと思う。森本は彼女のために早く出てこようとして転向したのだが。
 活動する中心は森本から石川に変わる。ここでもお君ちゃんと石川の感情と運動との関係が取り上げられる。
 「工場細胞」では、いわばうまく乗せられてしまった労働者だったが、ブルジョワ側の反攻によって、彼の活動の関係と忌むべき「共産党」とのつながりが強調されて、労働者たちそのものが共産党から離れる。それをどうやって再び団結の力へともって行くかの過程を描いているが、同時に、一つの工場だけではなくて、その運動が全国的なものであり、それどころか全世界的なものであるという視点が強い。

 『定本 小林多喜二全集』の第六巻。
 「壁にはられた写真」は、三・一五の犠牲になった闘士渡辺の写真が張られたことから始まる、バス会社での闘争の話を描いた小品。
 「独房」は、別荘から出てきて饒舌になった田口の回顧した小さな逸話を集めたもの。「ズロースを忘れない娘さん」、「豆の話」、「青い褌」、「アパアト住まい」、「長い欧州航路」、「赤色体操」、「松葉の「K」「P」」、「せき、くさめ、屁」、「オン、ア、ハ、シャ、ナウ」、「プロレタリアの旗日」、「出廷」、「独房小唄」。
 「松葉の「K」「P」」と「せき、くさめ、屁」がいい。発表されなかったのが二つあって、これは解題に載っている。「こら、何しとるんだ?」と「おいらん船」。

★99年1月1日(金)

 『定本 小林多喜二全集』の第六巻。
 「プロレタリアの修身」。小品。壁小説と呼ばれるものらしい。よく分からない(笑)。
 「テガミ」。これも小品、壁小説。父親が死に、母親が死んで、残された子供たちが葬式のお供えを食べてしまうという話が、手記の形式で描かれている。
 「飴玉闘争」。これは「独房」の一部だという付記があるが、「独房」に含められている他の小品とは明らかに別ものである。これも短いことは短いけれども、濃密さははるかに増している。
 「争われない事実」。これも小品、壁小説。東京に出た息子が共産党に関わったというので検挙されたことを悲嘆する母と娘。が、娘は小作争議に加わる。
 「七月二十六日の経験」。同じく。「戦争反対!」のビラを見た老人から若者までの様々な反応。
 「級長の願い」、「疵」、「父帰る」も、壁小説。
 「母たち」は、検挙される活動家たちの母たちの反応を描いた小品。
 
 居間で、テレビを見ながら、『定本 小林多喜二全集』の第六巻の続きを読む。
 「安子」は、この巻の大部分を占めている中編ないし長編。

 『定本 小林多喜二全集』の第六巻、「安子」の続きを読む。
 これは小説としても面白かった。多喜二は、男を描くよりも女を描いた方が筆が生きているように思う。
 地味な姉と、快活な妹の対比も、図式的といえばそうだが、小説に膨らみをもたせている。予定の前半だけで終ってしまったようだが、惜しい。
 「疵」は警察に捕まって保釈されて出てきた娘と銭湯に行き、その体についた傷に気付く母親の話。
 「母妹の途」。捕まった息子のところに、娘とともに面会に行く母親。
 「級長の願い」。貧乏のために、学校で集める戦争協力費が出せない級長の作文という形を借りた小品。どんな場合でもそうだといえばそうだが、子供を使うのは難しい。話としての面白さは出るのだが。
 「父帰る」。捕まった夫と、子供を生んだその妻。
 「失業貨車」。何かそのままのタイトルである。

 『定本 小林多喜二全集』は第七巻に入った。

 『定本 小林多喜二全集 第七巻』に入って居るのは、未完の長編「転形期の人々」とそのための断片的な原稿だけ。
 多喜二自身は、ここにあるのは序章のみで、登場人物の紹介が終ったところだと言っているらしい。この後は『前篇』が福本イズムの台頭、『中篇』が小樽のゼネ・スト、『後篇』が福本イズムの没落から三・一五まで、という予定だったようだ。
 惜しいと思う。
 登場人物はやたらと多い。龍吉とその家族、古川や島田からふじ子といった岩城ビルの人々、龍吉の工場仲間の山形、渡辺ら、同じく龍吉の学校時代の友達の佐々木、佐々木の参加している研究会の人々、組合の源さん、旗塚他、山謙といった中央の連中。
 特に一貫したストーリーがあるのではなく、龍吉から始まって、新しい登場人物があると、その人物に関わる話が展開されるというようにして、それこそ人物紹介であるが、これ自体が一つの小説の形式だとしても読めると思う。
 
★99年1月2日(土)

 「Mr.ビーン」、『ダーティ・ハリー3』を見ながら、『定本 小林多喜二全集 第八巻』の「沼尻村」を読む。
 小作争議が舞台だから、同じく小作を取り上げた今までの作品で使われたあちこちのネタが反復されているし、小ネタも多いが、全体に小説としてそれほど面白くない。

 高校サッカーなど見ながら、『定本 小林多喜二全集 第八巻』を読む。
 「沼尻村」は、後半に騒ぎが起って(多喜二の小説ではたいがいそうだが)少し面白くなる。
 「党生活者」。これも騒動そのものは終りに出てくるが、それ以上に、タイトル通りに(『中央公論』掲載時は「転換時代」という仮題だったらしいが)地下生活が描かれている。これは結構辛い。こんなことなら党や運動に関わるまいと日和ル人が出てくるのではないかと思うくらいである(笑)。
 始めは工場(軍需工場)に勤めていた(細胞として入り込んでいた)「私」が警察に追われるようになって下宿へも帰れず身を寄せるのが笠原である。彼女は「私」を助け、やがて妻になるが、彼女自身は活動家ではない。それでも疑われてタイピストの職を失い、やがて女給になる(身を落とす?)彼女は単純に可愛そうである(笑)。面倒だから引用しないが、この場面の二人の会話は渇いていてそれがむしろ印象的。
 笠原と対比的に描かれる伊藤は、これも女だが、元気に活動し、やはり生きている。しかも、容姿のことが度々触れられている。笠原がどういう容姿であるかはほとんど触れられていない。
 男では、明るい性格として描かれている須山が比較的生きている。
 これは珍しく舞台が東京らしい。
 これもまた未完というか、続編の構想があったらしい。

 
 『定本 小林多喜二全集 第八巻』を読んでしまう。
 「地区の人々」。私にはあまり面白くなかった。既に地下生活に入った多喜二が生活のために書いたという側面もあるようだ。

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