菊池さんは、物にだけ興味を持って、物の見方とか物の考え方の話になると、すぐ退屈そうな顔を露骨にしてみせた。作品もそうなので、前にも書いた通り、「啓吉物」にせよ「歴史物」にせよ、その魅力は、逸話の魅力なのである。逸話は「物」であって、「物の見方」ではない。文の技巧に頼らず、読者を直接に「物」の面白さに誘い込もうとするやり方は、菊池氏の文学上の仕事に一貫していたやり方であったが、当時の文壇は、自然主義小説への反動期で、作家は、めいめいの新技巧に腐心していた。つまり「物の見方」の方を重んじる風が強かった。自然主義小説にしても、わが国では、西洋の自然主義小説とは異なって、見たままを描くと言いながら、ことさら平凡な題材を描き、こまかな物の見方で読ます風があったのである。その中で、小説の面白さは題材の面白さが八割で、物の見方など、トルストイくらいになれば一風変わって面白いかも知れないが、普通から言えば、凡人の思い付きで、面白い題材さえつかまれば、結構いい小説は書けるという菊池寛説は、全くの俗論に思われた。菊池寛の文学は、はじめから文学青年とは縁がなかったのである。(小林秀雄)
菊池さんは、物にだけ興味を持って、物の見方とか物の考え方の話になると、すぐ退屈そうな顔を露骨にしてみせた。作品もそうなので、前にも書いた通り、「啓吉物」にせよ「歴史物」にせよ、その魅力は、逸話の魅力なのである。逸話は「物」であって、「物の見方」ではない。文の技巧に頼らず、読者を直接に「物」の面白さに誘い込もうとするやり方は、菊池氏の文学上の仕事に一貫していたやり方であったが、当時の文壇は、自然主義小説への反動期で、作家は、めいめいの新技巧に腐心していた。つまり「物の見方」の方を重んじる風が強かった。自然主義小説にしても、わが国では、西洋の自然主義小説とは異なって、見たままを描くと言いながら、ことさら平凡な題材を描き、こまかな物の見方で読ます風があったのである。その中で、小説の面白さは題材の面白さが八割で、物の見方など、トルストイくらいになれば一風変わって面白いかも知れないが、普通から言えば、凡人の思い付きで、面白い題材さえつかまれば、結構いい小説は書けるという菊池寛説は、全くの俗論に思われた。菊池寛の文学は、はじめから文学青年とは縁がなかったのである。(小林秀雄)
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