池山智紀


第二水曜会
1993年〜1997年あたりに書いていた小説批評
2000年〜2002年の日記
アンテナ
XEmacs on MS-Windows

連絡先

Email tomonori@suiyokai.org
郵便番号 171-0051
住所 東京都豊島区長崎 2-27-7 カトウマンション 103
電話番号 03-5965-1506


経歴

1974年2月4日、愛知県に生まれる。周りを田んぼに囲まれたのどかな所で過ご す。小学校でサッカー部に入ったが六年生になってもレギュラーになれないの がいやになったのを夕焼けニャンニャンだけを心の支えにして乗り切る。その 他にはラジコンをやったりセガ・マーク3で北斗の拳やスケバン刑事をやった り、田んぼで水泳をしたりする。

中学校では野球部に入り坊主頭で、こっちはレギュラーになったが結局最後ま で変化球を打つ方法が解らないので飽きてきて、家にこもって音楽を聴いたり 本を読んだりしはじめる。RCサクセションを経由してオーティス・レディング とか何かそこらへんのやつを聞いたり、グインサーガとか子供向けのファンタ ジー小説を読んだり、なぜか家にあった世界文学全集みたいなのを読んだりす る。

1989年、パソコンに興味があったので高専に行こうかと思ったがそれほどの熱 意もなく、近所にある高校に入学する。美術部に入ったが特に絵に興味がある わけでもなくトランプなどをして暇をつぶしていたがそれにも飽きて家にこもっ てスミスなどを聞く。モリッシーが来日したのを見に行ってステージに飛び掛っ て着ている服をちぎったりした。ギターを買ってバンドをやろうとするが、楽 器を練習するよりもカラオケの方が楽しいと言われて挫折し、7thのコードを 覚えた頃には飽きてくる。東京ではパラダイスGoGo!という夕焼けニャンニャ ンみたいなテレビをやっていると聞き、忘れていた熱いものを取り戻してCOCO とかribbon とかを熱心に聞き、コンサートに通う。桃尻娘を読んで東京の大 学に行くことを決意し、三ヶ月ほど猛勉強する。

1992年、大学に入学して東京を満喫しようと思ったがうまいこと部屋が見つか らずに小平市に住むことになり、慣れない満員電車に落ち込む。どこかサーク ルにでも入ろうと思ったらとても美人な人に勧誘されたのでバンドをやるサー クルに入るも余り練習をする気がなかったので居場所がなくなってやめて、バ イト先で麻雀、トランプ、サイコロ、ルーレットなど各種賭博を行うようにな り、バイト代が自分の前を右から左へ流れていくのを眺めながら、西原理恵子 を熱心に読む。大学の図書館で吉田健一著作集を読んだりプルーストとかヴァ レリーとかベルクソンとかを読んだりするが勉強ははかどらずフランス語が全 然解らないのにフランス文学を専攻することになる。

満員電車に乗らないでも学校に行ける所に引っ越そうと思い、東長崎に住むよ うになってしばらくして、西原理恵子の話題をパソコン通信で読んでどうのこ うのという話を山崎一夫が書いているのを読んで興味を持ち、マッキントッシュ を買ってパソコン通信をはじめるが、漫画の話題は持ちネタがないので文学の 話題を扱うコーナーに参加するようになって批評とか小説とか、それっぽいこ とを書いたりするようになるうちに知り合いが出来て、色々遊ぶようになる。

大学は四年で卒業するつもりで、マルグリット・デュラスで卒論を書くも、必 修の授業の単位が取れなくて留年して、五年生の時のその授業が水曜日だった ので、水曜日に学校に集まって遊ぶ会ということで水曜会を結成し、映画を撮 ろうだの雑誌を作ろうだのと色々企画を話し合うが特にこれといって何もしな いままただいっぱい酒を飲むようになる。

1997年、四年生の時に就職するつもりだった会社がバブル崩壊のあおりで倒産 したのに冷や汗をかきながら、ソフト会社に入社する。会社の寮に入ることに なり、再び賭博熱が再燃して翌日仕事なのに深夜まで麻雀をするようになる。 会社では勉強しながらサーバーの設定をする仕事をするうちにパソコン好きが 本格化して頼まれてもいないのに自分用のパソコンに Linux を入れたりする。 仕事でC言語を覚えたのが、自宅でパワーマックを買って MK Linux を入れる もマイナーOSなためコンパイル出来ないソフトがいっぱいあるのを何とかする のに役立つ。XEmacs がコンパイル出来ずに悩んでいると、メーリング・リス トに日本人の人がリンカー・スクリプトを投稿しているのを使うとコンパイル できるようになってプログラマーに対する憧れが増し、その後、会社で使う Windows でも XEmacsを使おうと思って Mule パッチを作るも、結局本家には 採用されずに自分で勝手に配布する。

2001年、ルケーチが結成され、ビールを飲む係りとして参加する。ライブの客 席や練習中、その他飲み会なので率先してビールを飲み時には吐くという活動 を繰り返し、特に縁の無かった中央大学に何回も行く。会社の仕事でプログラ ムを書く機会も少なくなり、フリーソフトも使うだけになってきてコンピュー タへの入れ込みが低下していく中、寮で遊んでいた人たちも次第に会社を辞め たりしていなくなってしまい、2002年末には自分も懐かしの町、東長崎の隣に ある椎名町に引っ越しをする。2003年中頃、CO2というバンドのアルバムを聴 いて思いつきでテナーサックスを始める。アーネット・コブやイリノイ・ジャ ケー、そしてホンカー達の曲を聴いて、運指を全部覚える前にグロウルの練習 をするなど行き当たりばったりに進む。