ずっと気にかかっていた text glyph を使っていると GC で落ちる バグだが、どうやら修正方法が見つかった 模様 で一安心。
会社の帰りに秋葉原に行ったら末広町のところにセガフレードとい うカフェがあって、とても秋葉原には似つかわしくないお洒落な雰 囲気をかもし出していた。
夜は久しぶりに加藤くんと松よ志で飲む。
最初の方を読んでいるとアマチュア研究者を養成するための本かと 思ったが、読み進むうちに必ずしもそうでない感じがしてきて、反 インテリというようなイデオロギー色の濃い内容だった。攻撃の対 象となるのは現代思想全般、民衆史的な歴史観、小林秀雄以来の文 芸批評というようなもので、これらに対して共通に指摘される問題 点は明確な意味付けに基づいてくっきりした輪郭を世界に与えるこ とを拒否している、あるいはそのようなものとして世界を捉えるこ とが出来ないということである。その代わりに薦められるのが司馬 遼太郎の小説を読んで歴史を学ぶことだったりする。それでこの本 の最後のほうで小谷野の意図が明確になってきて、それは最近の若 者と呼ばれる種類の人が生きることの意味や目的を見失っているの はインテリ的、左翼的な言説が世界を無根拠なものとして、あるい は退屈なものとして描いてきたことによるもので、そのような状況 を打開するには意味だとか根拠だとかに支えられた秩序付けられた 世界を示すことが必要になるというようなことである。
しかしここではそのような根拠付けられた世界というのが人間を支 える訳ではないということが見逃されている。もし知ということに 限定するなら我々は仕事なり生活なりの上で必要となる諸々のある 程度は専門的な知識に支えられて生きているのであって、誰にでも 共通に意味を持つ知識というのは同時に誰にとっても意味を持たず、 それを生きる基盤にしようとすれば結局は日本人であることとか、 男であることに誇りを持つというような話に陥る。そして小谷野敦 にはそういうところが少なからずある。
「ベンヤミン・コレクション」を買ってきて読んでみる。まだベン ヤミンの読み方がいまいち解らなくて、適当に読み流す程度だった ので、ベンヤミンの他のやつをもう少し読んでから読み直そう。
黒沢清の「カリスマ」をレンタルビデオで見て、大変すばらしい映 画だが、最後のほうで出てくる CG のしょぼさはいかんともしがた いものがあるな。見ているほうを中空に放り出すようなラストシー ンは「CURE」もそうだったけど黒沢清の真骨頂なのだろうか。映画 館で見終わった観客が首をかしげながら出て行く様子が思い浮かぶ。
トリュフォーの「私のように美しい女」を見たときに、男と言うの はなんて馬鹿でどうしようもないものかと思ったものだが、それと 同じようなどうしようもない男の話だった。非常にすばらしい映画。
二週連続で十条で讃岐うどんを食ってみたりして、しかも昼間から ビールを飲みながら。
石神井公園で花見をする。和田くんに久しぶりに会って喋ったのが 非常に楽しかったが、勢いよく酒を飲みすぎて気がついたらぶっ倒 れていた。
リュック・ベッソンの映画に出る のでフランスにいるのか。ビールの宣伝でフランス人と讃岐うどん を打っているのはその流れということか。
岡さんのライブを見に王子に行くが、こういうので飲み屋に行くと いつも一人でいっぱい酒を飲んでしまって会計がえらいことになる。 大変優良なお客さんであることよ。
Java のプログラムでもやってみようかなと思い立ち、例えばサー ブレットで掲示板を作るというのはどうだろうか。
Java は会社の研修で習ったんだけど、ほとんど忘れてしまったの で何かやって覚えなおそうと考えてるんだが、いきなり掲示板を作 るのも面倒くさいので何かハック出来るものでもないかなと探した 所、 WebMail というのがあった。読むほうは日本語メールも大丈夫だけど、書く ほうは全く駄目みたいなのでこれをいじってみよう。
加藤くんと上野で飲む。今年からかどうか解らないが会社の進入社 員採用面接を人事関係じゃない普通の社員にやらせるというのがあ るらしくて、加藤くんはそれをやるらしい。それで帰ってきて加藤 くんのうちでさらに飲んでいると就職活動中の女子大生から酔っ払っ て電話がかかってきたりしていた。
吉祥寺に ルケーチ の練習を見学に行く。さくさくとアレンジが出来ていく様子は壮観 だった。
Tomcat に組み込んでサーブレットとして動かそうとするとエラー になるので調べた所、Tomcat と一緒に配布されている XML 関連の ライブラリが WebMail が使っているやつとコンフリクトするのが 原因らしくて、Tomcat 3.2.1 で WebMail を使うには、Tomcat の lib ディレクトリにある parser.jar を展開して org/w3c/ を削除 する必要があるみたい。
about.el に載せるので XEmacs への貢献の内容とプロフィールを 送れとかいうメールが来たが、これはパッチを送った人全員が対象 になっているのだろうか。そんなことより、Windows 版の Mule サ ポートはどうなってしまったんだろう。
ちょうどそんな話題が出ていたのでメールを出してみる。21.4 の リリースにはもう入れられないので 21.5 向けにやってくれという 話になった。
2001年宇宙の旅がリバイバルでかかっているのを見に行く。宍戸留 美が「弁当箱はモノリス製よ」と歌っているモノリスというのはあ れのことだったのか。
mule-21-5 ブランチを作ってコミットしてみる。間違えて他のブラ ンチをぶっ壊したりしないだろうかと思って若干びびったりしてい た。
阿佐ヶ谷のヴィオロンという喫茶店で行われた吉村さんの短歌の朗 読会に行く。前半は岡さんが、後半は富山さんがそれぞれピアノを 弾くのにのせて吉村さんが風景描写の文とか短歌とかを読むという 趣向で、今回は富山さんのピアノが非常にすばらしく、主役を押し のけるくらいいい感じだったし、そもそも朗読が聞こえないくらい でかい音でピアノを弾いたりして物理的に押しのけていた。
現代思想の冒険者たちのデリダの巻を読む。原エクリチュール、原 暴力といった起源を設定して、その届かない声に耳を傾け、届かな い光に目を凝らし、それによって正義へと進むとういうような話な んだが、聞こえない声、つまり我々の決定から排除され、抑圧され た決して届かない声に対して原初において加えられた暴力への批判 というこの考え方は、目の前に存在する暴力に対して形而上学およ びそれに対する批判によって話を物事のはっきりしない領域へと持っ ていくという性質と隣り合わせている。脱構築ということが意味を なすということがあるのはその原初の暴力を目の前の暴力の中から 生成する作業においてであって原初への還元においてではない。脱 構築においては目の前にある暴力は常に目の前にあるのものとして ある。
XEmacs のページにほんのちょっとだけ 設定方法を書き加える。何事も慌てずに地道にやるのが肝心である ので、ぼちぼちと少しずつ書き足していく予定。
オリカンとかいう素人目には非常に胡散臭く見える要するにバンド コンテストの年間チャンピオン大会で演奏するというのを見に行く。 他に出ていたバンドはともかく岡さんとみちるさんの演奏はすばら しく、またこんなことでもなかったら会うことなどなかった大学の 後輩の人たちと話をしたりしたのは非常に印象に残った。