日記 - 2001年6月


2001-06-02

XEmacs

Cygwin でコンパイルするときに temacs からの出力が表示されなく て不便なので、i.exe を使ってコンパイルするようにしようというの を最近やっていたのが、やっと何とか形になったので xemacs-patches に送る。そもそも Windows application の標準出力 を bash がつかんでくれればいいと思うんだがそこら辺はどういう仕 組みになってるんだろう。Cygwin で -mwindows を使ってコンパイル すると tty が使えなくなるんだが、だれもそんなことは気にしてな いんだろうか。ためしに -mwindows 抜きでコンパイルして、xemacs -nw で使ってみた所、C-g で XEmacs が終了しちゃった。

アンテナ

なつみかん を使った リンク集 を作ってみた。なかなか思い通りに出来ないのでいろいろやっていた ら、リンク先のみなさん( INTER-COURSESUITE小心者の杖日記SOME LIKE IT HOT!、 )がネタにしてくれたりして面白かったので、とりあえずこれでいこ う。挨拶もなしに更新チェックかけて済みません。

2001-06-03

XEmacs

それって、cmd.exe でコンパイルするっていうこと? bash だったら そんなこと起きないよ、とか言われる。やっぱ Cygwin の bash は Windows アプリケーションの標準出力をつかんでるんだろうか。どう なってるんだと思って調べてみたがいまいちどういうことなのか解ら ない。メーリングリストに入って教えてもらおうかと思ったが、 ここ から移転先が繋がらない。

2001-06-04

XEmacs

CYGWIN=tty を環境変数に入れればいいらしい。これでWindows アプ リケーションとしてコンパイルしても xemacs -nw でもちゃんと起動 できる。、さらに Windows 版 rxvt を試してみたら、Windows 付属のコンソールよりも格段に動きがスムー ズですばらしい。ただ日本語の上をカーソルが通ったりすると表示が 崩れたりするので、このあたりの安定度が上がればもっといいんだけ ど。

大火事

会社の中の別のプロジェクトが問題をいっぱい抱えたまま締め切りが 来てリリースしたのでシステムがまともに動かかずに大騒ぎになって いるところの手伝いをして欲しいというので行ってみた所、問題点を 並べて作業リストを作るための会議をしていてとりあえずそれに参加 して、というか遠まきに眺めていると、どうも一週間かそこら寝ずに 働いていたらしい開発の人たちは腐った魚のような目をして虚ろな表 情でぼそぼそと喋っていて、それでいつまでたっても話がまとまらな いというかなり陰惨な状況になっていた。話を聞いているうちに、そ んなことはどうでもいいからあんたら取り合えず寝たほうがいいよと 心の中で強く思ったが、一応ソースを見せてもらって作業が出来るか どうか調べて、しかし全く何も解らない人が手を出せるような状態で はないし、居るだけで胃が痛くなってくるので、参加はせずに帰って くる。非常に後味の悪い思いがして、やっぱり会社というのは人間を 冷静な判断力を失うような状態に陥らせるような所があって、自分一 人のことならいくらでも何とかなるんだけど、集団でそういう状態に なっているのはどうにも居たたまれない。

2001-06-05

とみねこライブ

富山さん のライブを見に御徒町へ行く。終わった後で、ライブハウスの前の居 酒屋で中野さんと岡くん、そしてなぜか道端をうろうろしていた岡さ んを捕まえて飲んでいると、富山さんが来て、これからちょっと合コ ンをしてくると言って岡さんを連れて行ってしまう。自分のライブが 終わった後に合コンをセッティングするというのはいったいどういう ことだと思いつつもそのまま居酒屋にいて四方山話を続け、合コンが 終わった富山さんと合流して、終電までまだ時間があるからと飲み始 めたらあっという間に終電の時間は過ぎていいたのでユーノスケくん の家にタクシーに五人乗りして行く。タクシーの五人乗りについては 嫌な思い出があったが今回は何事も起こらず無事に到着し、僕はその まま倒れていたが、岡くんは明け方までユーノスケくんと語っていた とか。翌日起きて大変気分が悪いので家に帰ろうかと思ったが、家に 帰るよりも会社のほうが近いので出勤する。

2001-06-06

toolbar icon

これは XEmacs のツールバー・アイコンを GNOME 風にしたやつ。やっぱアイ コンはカラーがよいね。

2001-06-07

Unicode

redisplay で Mule の内部コードから Windows のコードに変換をす るのに CCL を使ってやっていたのだが、Ben Wing さんはそれをMule コードから Unicode に変換して Unicode 版の APIを使って表示する ようにするということなので CJK Unified とかそういうのの話をよ く聞くけどどうなんですかと尋ねたら詳しく教えてくれた。今の所は Windows 版の redisplay でしか使わないので、どっちにしても問題 は起きないだろうということらしい。変換テーブルは Mule-UCS のを 使うのではなくて、unicode.org のやつをそのまま使うと。ところで 言語タグというのは UTF-8 でも使えるものなのかどういうものなの か。

so far the tables are just from unicode.org. Himi in his mule-ucs package has more tables, although they're not quite in the format i need. [though i could write a conversion program, of course]

the "problem" with unicode and cjk characters is mostly political. unicode makes sure that round-trip conversion between anything coded in any single legacy character set will be lossless. however, unicode [very much by design] doesn't mark language in their characters, so if you have a stream of unicode characters and no markup on it indicating a language, you naturally have problems converting it back to legacy charsets. of course, the exact same thing exists with iso-8859-*, but for whatever reason it's considered a more serious problem with cjk. part of it may be that a particular unified character often has a "japanese" look in a japanese font, a "chinese" look in a chinese font, etc, and these are noticeably different.

basically, unicode explicitly tries to represent "characters" [defined by their semantic properties, more or less], not glyphs, and does not encode language. unicode is also not actually an encoding, just a set of code points and charcters. it is assumed by the unicode consortium that language info be marked externally, e.g. through html or xml. i think the cjk people were concerned that in practice a lot of unicode text will be sent "plain", without markup or language tagging. so finally a compromise was reached and unicode defines special characters sequences called "language tags" -- basically some special char, a string of text naming the language, and some other special char to end, which can be embedded into the text to indicate language.

if we were to convert to utf-8 or something similar as an internal representation [imho a very good idea], we would of course need to put a text property on all text indicating what language it belongs to.

none of this matters for the moment, however -- all i'm currently using unicode for is to convert between mule-internal encodings and something that windows understands, for display. in this case, we already know the code page and font. windows nt also uses unicode internally, so when my unicode-encapsulation stuff is finished, we'll be passing unicode to all library functions, which will allow for the support of mixed-language strings [e.g. filenames], devanagari and other character sets that are represented *only* in unicode and have no code pages [this is ms's practice with all new characters being added], etc.

2001-06-11

ゲリラ祭

金曜日の夜に中央大学のゲリラ祭に遊びに行ってそのまま日曜日の夜 までいた。何事も節度が大切ということがあって、日曜日などはそれ ぞれに家には帰れぬ事情を持つ竹内さんと宮沢さんと、僕はただ単に ぼんやりしながらビールを飲んでいるうちに帰り損ねて非常に煮えきっ た一日を過ごした。

竹内さんと宮沢さんが音楽の話をするのを聞いているとそれはさなが ら固有名詞の洪水という様相で、分析でも解釈でもなく記憶や経験の 連鎖によるシーニュの習得ということを思った。生身の人間のその生 身の部分で音楽に関わっているのがその習得すると言うことではない かと、夕方になって二人が眠ってしまって本棚にあった「映画千一夜」 という本を読みながらつらつらと考えた。生身の人間というのは体の 外側を外部と接触させながら生きているということで、世の中の大抵 のものは人間の球状にした内部が外部と接触した形をしているのに対 して、外側同士の接触はそこで熱を発し、常に新しい生命を生み出す。 本当に熱い、いや、暑苦しい一日で、そろそろ帰ろうかと思った頃に 夕立が来て、しょうがないので横になってしばらくそのまま眠ってい た。

2001-06-12

IME

XEmacs ではコントロールキーとかメタキーとか、最近はメニューの アクセラレーターなどキー入力に対して非常に複雑な処理をしている のが IME と干渉するみたいで、かな入力にしていると IME を On に した時に全角英数入力モードになってしまったりして、これは SetKeyboardState() でキーマップを入れ替えているうちに IME から の入力が来て、その処理でおかしなことになるのではないかと思う。 ためしに SetKeyboardState() の呼び出しの一箇所を削ると、IME の 入力モードが勝手に切り替わることはなくなった。もちろんそうする と普通の入力に支障をきたすので、色々調べているうちに IME から の WM_KEY 系のメッセージでは wParam に VK_PROCESSKEY というの が入っていて、この場合はメッセージを処理せずにそのまま DefWindowProc() に渡せばいいのかなと思ったらそうでもなさそうで、 どっかから文字が入ってきてしまう。何となく仕組みは解ったが解決 するのはまだ時間がかかりそう。

2001-06-13

Kondara

Kondara 2.0 を VMware 上にインストールしてみる。何故か NFS か らはインストールできなかったので ftp を使って途中で VMware が 異常終了するなどのトラブルがありながらも取り合えずインストール 自体は出来た。これから色々試してみる予定。

2001-06-14

光る泥団子

テレビで児童心理学の話をやっていて一所懸命光る泥団子を作ってい る子供にもう出来上がっている光る泥団子を渡して、その出来上がっ ている立派な泥団子と自分の作りかけのをそれぞれを両手に持つ格好 になった子供がどういう行動に出るのか実験するというので、子供は 両手を塞がれてしばらくどうしたらいいのか解らずに動揺を示した後 に与えられた立派な泥団子を放棄して自分のを作るのを再開する。

これを見ていて前に岡さんとみちるさんと話していて岡さんは自分が お菓子を食べていても向こうに美味しそうなのがあると今食べてるの を放り出してそっちに行ってしまうような感じで、みちるさんは今食 べてるのを持ったまま向こうの美味しそうなのを取りに行くとか言っ ていて、まあ、僕は今食べているのを静かに食べているような性格だ と思ったのを思い出した。

既に出来上がっている立派なものよりもみすぼらしくても自分が作っ ているのに執着するというのは別に子供に限ったことではなくて、例 えば Meadow の方が何かと便利かもしれないけど XEmacs を使うとい うのはそういうことで、あるいはただ単に自分が関わっているという ことだけであるよりも、もしも出来上がった立派な泥団子を何も言わ ずにではなくて君のために作って来たのだとかいうような、ただのも のであるよりもそこに個別の経験を伴うような状態を作れば、子供は それを手にして執着を示すかも知れない。ダイアモンドはその永遠の 輝きというような宣伝文句によって輝き、交換され、誰かの懐に利益 をもたらすが、光る泥団子が輝くのはそこでの純粋な経験、無意志的 な記憶の獲得によるものであり、ここでは交換できるものは価値をも たなくて光る泥団子は貨幣ではない。そして泥団子それ自体も価値は 持たず、友達とぶつかって必死に作った泥団子を壊された子供はしば らく落ち込むが、その友達がたどたどしく謝罪の言葉を口にすると表 情がとたんに明るくなる。交換不可能な経験の豊かさによってその笑 顔は輝く。

2001-06-18

週末

金曜日の夜に牛タン屋に行ったら正雪があったので二杯ほど飲む。土 曜日の夜は日暮里だから電車で一本なので帰ればいいものをユーノス ケくんの家に行って根津をさ迷って手に入れたビールを飲む。翌日起 きて宮沢さんの残していったハンバーグ弁当をむしゃむしゃ食べる。 そして日曜日はペンギンで次の日仕事なんだから帰ればいいものを三 時まで飲んでしまう。そして今日は胃腸が壊滅的な打撃を受けたのに 悩まされる。

ルケーチ

満を持してペンギンに登場したルケーチのライブで、とにかく楽しかっ た。いっぱい友達を連れて行きたくなるような感じで、友達なんてそ んなにいっぱいいないけど、ありたっけ引き連れて皆で見たい感じが した。日曜日なのにも関わらずメンバー全員が朝まで飲むというのも すばらしい。

2001-06-26

ウイルス

Microsoft,オープンソースソフトを“ウイルス”呼ばわり というのは MS のソフトが余りにもウイルスに攻撃されやすいのでそ れ自体ウイルスみたいなものだという悪口に対抗するものだろうか。 もともと GPL の Copyleft の考え方をウイルス的と表現する悪口は よくあって、それは色んな意味で MS と GNU というのは似たような 所があるということなのかも知れない。

株式会社批評空間

第III期「批評空間」を創刊する らしい。行きたいけど、7月7日は駄目だな。

2001-06-27

XEmacs

そういえばずっと更新してなかったので XEmacs のページを更新。ドキュメントもランダムに書き足している。

2001-06-30

ビデオ

ビデオを見ていたらビデオデッキが壊れたらしくて、最後の力を振り 絞るようにビデオテープを吐き出して電源が切れて二度と電源が入ら なくなったので、北浦和まで歩いていって新しいのを買って配線をし て、せっかくなので何かビデオでも借りてこようとレンタル・ビデオ 屋に行くと、加藤くんと女子大生が仲睦まじくビデオを選んでいた。 じゃあ焼き鳥でも食いに行くかと提案したがもう二人で食べてきたと いうのでうちに集まって借りてきたビデオを見ながらビールを飲んで いるうちに泥酔して気が付いたら明け方になっていて二人の姿はなかっ た。


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