日記 - 2001年8月


2001-08-04

Java

この夏こそ Java を覚えようと思い、何か Java でプログラムを書く 決意をするが、取り合えず Ant とか JUnit とかの環境整備に時間をかけているうちにプログラム自体は何もせず に終わる。テスト勉強の前には部屋の掃除に精が出るのと同じような ものだろうか。

2001-08-08

ドラヒップ

フジロックで渋さ知らズのダンサーをやっていた人たちについて鹿島 くんから情報が入った。

富士ロックの女の子二人組みはドラヒップというバンドの人で同志社 の人たちだ。ゲリラ祭にも来た人たちなので私は何度も話したことが あるのだ。裏山鹿ろう。池ちゃんの撮った写真の手前のほうがムート ンという女の子で私もファンだ。京大の熊野寮ライブではトップレス で演奏したこともあるそうだ。それはそうとルケーチ音源ありがとう。 乾杯三唱。

ということで、ドラヒップで検索してみたところ「京都の壊れたチボ マット」とか紹介されていて大変面白そうだ。

ちなみに写真は自分で撮ったのではなくて、 ここ のやつでございます。

2001-08-13

パソコン

先週末に、それまで100日くらい止まらずに稼動していたパソコンが こういう遺言を残して固まった。

Aug 10 16:27:14 mayache kernel: VM: do_try_to_free_pages failed for ssh-agent...
Aug 10 16:28:44 mayache kernel: VM: do_try_to_free_pages failed for ssh-agent...

imap で一万通くらいのメールを別のフォルダに移動していた時のこ とで、カーネルのことはよく解らないがメモリが足りなくなって辛抱 たまらくなって落ちたのではないかと想像する。なんで ssh-agent なのかは解らないが。

いい機会なのでメモリとハードディクスを付け足すことにして、秋葉 原に買出しに行くと、256M のメモリが三千円とかで、この前ノート パソコン用の 256M のメモリを二万円くらいで買ったので普通のデス クトップ用のメモリがこんなに安くなっているとは思っていなくてた まげた。しかし店に並んでいるのを眺めていると SDRAM を買えばい いのは解るのだが、その SDRAM にも PC100 と PC133 という二つの 種類があって、どっちのを買えばいいのか迷って気が小さいので店員 にも聞けず、とりあえずラオックスに行ってパソコン自作マニュアル みたいな本を立ち読みして得た知識によると、その 100 だか 133 だ かいうのはベースクロックで、うちのパソコンは Celeron だから、 Celeron の対応するベースクロックは 66 と 100 らしくてつまり PC100 の方を買えばいいという結論に自分の中で達した。だって 133 でみんな動くんだったら 100 の方を売ってる理由がないし、と思っ て買った後で家に帰って調べたら、PC133 でも PC100 と互換性があ るらしくてちょっと損した気分になったが、100 と 133 では 33 し か違わなくてそのくらいの違いに気をかけるのは男らしくないのでさっ ぱりと諦めることにする。

帰宅して早速メモリと、一緒に買ってきた 60G のハードディスクを パソコンに取り付けたところ、メモリは問題なく使えたがハードディ スクが fdisk でパーティションを切ろうとすると 28G くらいしか使 えなくて、BIOS の設定を変えて試したりやっていると加藤くんが電 話をかけてきてうちのパソコンで宴会の写真を公開しているので勝手 にパソコンを止めるなと苦情を言ってくる。それで二人してハードディ スクを繋ぎなおしたり、インターネットを検索して調べたりしていた が、それを酒を飲みながらやっていたのでだんだん酔っ払ってきて訳 が訳が解らなくなり、もう Linux なんか駄目だ、Windows を入れよ うとかいう話になって、Windows 2000 のインストール・ディスクで 起動したらディスクをフォーマットする所で 60G のパーティション を作ることが出来て、そのまま Windows をインストールしたくなる 気持ちを抑えて Linux を起動し、fdisk でディスクを見たらちゃん と 60G のパーティションが認識できていて、目出度く新しいディス クが使えるようになった。結論としては Linux の fdisk はでっかい ディスクを扱えないと。以下のヴァージョンでのお話でした。

$ uname -a
Linux mayache 2.2.16-3ksmp #1 SMP Wed Jul 12 01:54:53 PDT 2000 i686 unknown
$ fdisk -v
fdisk v2.10c

2001-08-26

ジジェク

批評空間のサイト があって、そこでは浅田彰が八月十五日付けで 靖国神社ネタ を載せるなど、第三期の創刊に向けて盛り上がりを見せている。

同じ欄でもう一つ浅田彰が書いたやつで ジジェクの「汝の症候を楽しめ」について書かれたもの があって、その本の最初の章で取り上げられているラカンの「手紙は 必ず宛先に届く」というのについて解説されている。このラカンのテー ゼに対するデリダの批判は東浩紀によって強化されて郵便的という郵 便における誤配を重視した考え方となって広く知られている。

浅田彰のとは違った点でジジェクの話を取り上げると、ジジェクがこ こで言っているは、手紙はその宛先に届くことによって手紙として成 立するのであって投函されることによってではないということである。 つまり手紙の投函はその手紙が宛先に届いたことによって遡及的に確 認されるものであり、宛先に届くことに先立って手紙が存在するわけ ではない。ジジェクの解釈はこのようなものであって、これに従って 誤配を重視した郵便というものを見ると、それは宛先に届いた手紙に よって引き起こされた症候であるということになる。誤配というのは 手紙が届いたことに対してその手紙の真の宛先を措定し、その手紙が 届いたことによる衝撃を緩和しようとする主体の示す反応であるが、 しかしこれは欺瞞であってその手紙の宛先であるところの主体がそこ に自分とは別の真の宛先を措定するのは、既に自分がその手紙を受け 取った宛先である以上、手紙全体を受け入れることを拒否する都合の いい振る舞いであるに過ぎない。

主体はその手紙の宛先として主体となるのであり、その手紙の全体を 受け入れることによって主体としての閉じた枠組が保持される。我々 が発する言葉は常に我々の意図以上のものを相手に届ける。この意図 以上のものこそが我々の発した言葉の真の姿であり、それが自分に向 かって帰ってきた時、その始めて目にする自分の本当の姿に我々は衝 撃を受ける。そしてその発した言葉の余剰は必ず自らのところに帰っ て来るのであり、これが手紙は必ず宛先に届くということである。こ こには手紙、つまりある一点の全体を受け入れることによって主体が 自らの枠組みを支えるという図式がある。デリダが批判するのは恐ら くこのある一点の全体によって支えられる枠組みという考え方で、こ の一点の分割可能性、複数性こそがその枠組みをなしているというも のであるというのがデリダのラカンに対する批判だと思う。あるいは 東浩紀のジジェクに対する批判ということでは、この手紙、つまり我々 が発した言葉の最初の意図にはない真の姿に全ての源泉を求めるやり 方は、そこでの最初の意図を安全な、根源的に批判の対象とならない 場所に持っていてしまうということになるだろう。

2001-08-29

再び浅田彰

i-critique というのがあった。

いしだ壱成が大麻所持で逮捕された翌日の石田純一の反応にはいささ か失望させられた。自らの不倫事件に際して「不倫は文化だ」という 正論を吐いたのだから、息子の事件に際しても「大麻は文化だ」と言っ てしまえばよかったのだ。

先週夏休みで昼間にワイドショーを見ていたらコメンテーターの人が、 いしだ壱成は記者会見とかで異常に興奮していることがあって怪しい と思ってたと言っていて、大麻で興奮ってどういうことだいったいと 思ったりしていたので、こういう常識的なことが書いてあるのを読む となんか安心する。ワイドショーといえば永江朗の「批評の事情」と いう本を読んでいたらこんなことが書いてあった。

ちなみにこの『経済入門』の編集を担当したふたりの編集者、穂原俊 二、斎藤真理子のうち後者は、文芸評論家・斎藤美奈子の妹である。 「だからどううした」といわれても困るけど、。ただ、山形は穂原が 編集した『オルタカルチャー』という事典の「小谷真理」の項目を執 筆し、これが小谷から名誉毀損で訴えられている。背景には東大SF 研閥と慶大SF研閥という日本SF界の近親憎悪的派閥争いがあると 思うが、斎藤美奈子はちょっとヤな立場だろうな。

これはなんか有名人の名前がいっぱい出てきてワイドショーぽい楽し さがあるが、斎藤美奈子はSFにも東京大学にも慶応大学にも関係が なさそうだし、それとも内部事情に詳しい人には何かあるんだろうか。 そもそもそんな派閥争いがあるとは到底思えないので、解る人には解 るみたいな冗談話かな。


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