日記 - 2001年9月


2001-09-04

週末の出来事

ちょっと死ぬかと思ったよ。こんな感じ。

8/31 (金)

とみねこ ライブ with ルケーチ が御徒町であり、とみねこの新曲であるところの「埴輪恋時雨」や 「酩酊」が披露された。大変すばらしい曲だったが PA があまりよく なくて歌がちゃんと聞こえなかったのが残念で、是非ともそのうちホー ンや岡さんのピアノや大正琴も入れてがつんとやって欲しいと思った。

そして村役場で打ち上げ。この前お宅に泊まりに行った小説家志望の せおさんという人と話をして、せおさんは自分の書いた小説の話がし たかったようで文章が読みにくいと言われるので是非とも指導をして くれなどど言われるが、会社で設計書を書いていて内容ではなくて日 本語の文法に突っ込みが入るような人間に文章を指導できるとも思え ないが、とにかくそういう文芸っぽい話をする機会は岡くんもイギリ スに行ってしまってなかなかなかったので、非常に楽しくて一人で盛 り上がって喋っていた。ながちゃんも池山さんの日記読んでます、文 学の話が好きなんですね、などというようなことを言ってそういう話 をして、こうやって日記などを記しているのは自己紹介という面で大 変有効であり、やっててよかったと思った。

打ち上げも終わり終電も近づいているので皆が続々と家路に着くもの の全然飲み足りないので、残っている人に引っ付いて朝までやってい る店を探して上野を歩く。何か店を知らないかと思って加藤くんに電 話して聞いてみたがよく解らないらしくて、声をかけてきたカラオケ の客引きのお兄さんに付いて行きかける所で、東方見聞録を発見して そこに入り、なぜだか加藤くんも合流し、ただ加藤くんはすぐに寝て いて、それでとにかく明らかに起きている人数分よりも多いジョッキ が目の前に並んでいたのは覚えているが、何の話をしたかとかはほと んど覚えていない。明け方に店を追い出されて不忍池の方に行って、 池に生えている蓮を引っこ抜いて遊んだり、その蓮を担いで中野さん は帰って行ったり、そのまま池のほとりにダンボールを敷いて寝始め た頃に加藤くんも帰って行ったりした。

9/1 (土)

池のほとりで直射日光が顔に当たるのがまぶしくて目がさめたが地面 に敷いていたダンボールを木陰まで引きずって行ってそのままさらに 眠り続ける。昼過ぎにおおいさんが新宿で火事で四十人死んでるらし いですよと言っているのを聞きながらようやく起き出し、寝ぼけなが ら歩いていて気が付くと上野動物園にいた。パンダは寝ていたが、白 熊は水に飛び込んで泳いだりする所を見物できた。鹿島くんは鹿児島 では白熊を食べる、味は甘い、練乳がかかっているからと何度もうわ 言のように呟き、公園で寝ている間に携帯電話をなくしてしまったこ とのショックから立ち直れないようだった。

上野には焼肉屋がいっぱいあるので焼肉でも食いに行こうと思って、 上野藪蕎麦の周りにいたずら通報で消防車が押し寄せているのを野次 馬で冷やかしながら韓国人街に行くが、そういえば歌舞伎町の火事に 巻き込まれてるのじゃないかという弟からこの日の昼に電話がかかっ てきたて、しかしお兄ちゃんは麻雀ゲームの賭博もコスプレ・キャバ クラにも縁はないのでそうい所には行きませんよ。

焼肉は大変美味しかったが前夜、余りにも飲みすぎたので胃腸が焼肉 を受け付けなくてほとんど食べられなかった。次にその近くの定食屋 でおかずをつまみにビールを飲む。そのまま皆でうちに来ることになっ て、缶ビールの栓を開け、加藤くんも合流してしばらく話をしていた と思うが、恐らく脳ではなくて脊椎で会話をしていたと思われて何も 覚えていない。

9/2 (日)

家族友の会 というサークルのイベントを見物に宮沢さんはベースを持って、鹿島 くんシンセを持って、金曜日以来そのままのいでたちで出かける。実 紀恵さんがカツラをつけてミキエリザベスだとか言いながら出てきた のはどことなく 直さん を思わせるものがあった。会長だし。

そのイベントが終わってサークルの人たちが片付けをしている間に立 ち飲み屋に繰り出して、疲れ気味なユーノスケくんととみねこと金曜 日から煮えきっている三人組で着実なペースでビールを飲み干す。最 近禁酒しているというユーノスケくんが、どうせ僕はルケーチですよ と言ってビールを飲み始めたのはおかしかった。その後はサークルの 人たちが打ち上げをしているのに合流して実紀恵さんの本を買ったり、 ユーノスケくんの芝居で熱演していたますやんに感想を言ったりして いるうちに、さらに二次会で宮沢さんと鹿島くんも合流して端のほう でくだをまき続け、昨日うちにきた顔ぶれに、さらに長畑さんと岡さ んが追加されてやってくる。皆が順番に眠りだすのが何だか寂しくて どうでもいいことを無理やり喋り続けていた。

2001-09-13

怒りのアフガン

アメリカで起きた同時多発テロの首謀者ではないかとして名前があがっ ているオサマ・ビン・ラディンについて、およびアフガニスタンのこ こ数年の情勢について知るのに非常に有用であると思われる、現地で 仕事をしている国連職員の人のレポートで カブール・ノート というのがあって、これは読み物としても、ちょっとその文学的な感 じが鼻に付く所はあってもとにかく面白いが、その中でオサマの引渡 しを要求して国連がアフガニスタンに経済制裁を行ったことに関連す る この記事 で述べられるそこでのタリバンとアメリカの交渉の過程が興味をひく。 タリバンは基本的にはオサマの引渡しを拒否するものの制裁を回避す るために最終的な妥協案として、オサマが自主的にアフガニスタンか ら出て行くというのを提示していて、しかしアメリカはこれを拒否し ている。これを読んで覚える感想はアメリカがミサイルを打ち込むと か経済制裁といったような中途半端な手段ではなくて、現地の情勢に 即して真面目に対応していればオサマを捕まえることは出来たのでは ないかということで、もちろんオサマ一人を捕まえたからといって反 アメリカのイスラム原理主義勢力が衰える訳ではないが、イスラム勢 力の文脈に理解を示して交渉をすることによって対立の度合いを落と すことも出来るはずであって、この現地の文脈を無視して口や手を出 してくるアメリカというものに対応する形でイスラム勢力の過激な反 応が起きているように見える。

2001-09-20

川上弘美「センセイの鞄」

唐突だが書評。

言葉を選ぶというのは無数のゴミの山をかき分けてようやく一つか二 つの使いものになる道具を見つけだすようなもので、例えば向こうか ら高校の制服を着た女の人たちが歩いてくるのを見て、それで女子高 生という言葉を使えばその途端に大量の雑音が響き出すのを逃れるこ とは出来ない。手垢にまみれたでも使い古されたでもいいが、とにか くそういうのんびりした形容では済まないくらいの負荷がある特定の 言葉にかかって、その言葉が使い物にならなくなるということがある。 何らかの専門分野の用語というようなものであれば、そういう種類の 負荷がかかるわけではない代わりにその分野という限られた範囲でし か意味をなさないためにその外に出ればその言葉は力を失う。それで 普通の言葉を使うにしてもそこは言葉であるよりも雑音に近いもので 溢れていて、その中から言葉の形を取るに足るものを選ぶ必要がある。

川上弘美はその言葉を選ぶ手つきに即して話を作る小説家であると言 える。「センセイの鞄」は四十歳に近い年齢の主人公が行きつけの飲 み屋で出会った学校時代の先生との間のほとんど臆病とも言えるほど 慎重に進む恋愛関係を描いたもので、その関係の進行は小説の中で使 われる慎重に選ばれた言葉と繋がる。それはセンセイのこういう台詞 にも現れる。

そのかわりツキコさん、ケイタイという呼び方はしないでください。 携帯電話、そう言ってください。ケイタイという呼び方は気持ち悪い のです、ワタクシは。

この気持ち悪いものを避けるという基調の上に、話が進むにつれて使 える言葉の領域が拡張していくので、例えば二人で旅行に出かけるの を「遊山」と表現したのが最後には「デート」という言葉を出して、 そこでそういう気持ち悪い、つまり雑音にさらされる危険のある言葉 を出しても大丈夫なくらいに二人の関係に確信が与えられて、それは この言葉が出てくることによって与えられる。それで携帯電話が出て くることも出来る。

ここには世の中に溢れる言葉の騒音の中で慎重に安定を保った世界が あり、読者はその世界に引き込まれて満足を覚える。もしここで不満 を覚える余地があるとしたら小説という形式の読み物が本来持ってい る猥雑な力の強さがそがれているということで、それは川上弘美の bk1 のインタビュー を読んでいると出てくる小説家としての職業意識を前提とした、例え ば、小説の登場人物は作者の意図とは独立してそれ自身で行動すると いうような小説の安定性だけを見た発言にも現れていて、雑音を慎重 に避けるだけではなくて、その言葉のふりをした雑音を本当の雑音に してしまうくらいの力を小説に求めてもいいはずである。

2001-09-29

地域通貨

山形浩生が Hotwired で地域通貨について書いていて 最初に「柄谷行人が始めた(けれど最近あまり噂をきかない)宗教団 体も地域通貨がどうしたこうした、という話がコアの一つになってい る」とか言っているので、おぼろげながらも西部忠の LETS の話に何 かつっこみを入れるのを期待しないでもなかったが、そんな話は全然 なくて子守をする用のクーポン券を発行してお互いに利用しようとし ていた人たちが失敗したという要するに一般になぜ不況がおきるのか を説明するのに使われている小話をなぜか地域通貨の話だと思いこん で地域通貨はうまくいかないとか言っている。この小話は地域通貨の 話ではなくて資本主義経済一般の話なのは明らかで、前段の金利によ る資産の増加はパン屋が生産性の向上によって資産を増やすのと同じ だというのはその通りで、それは同じ仕組みの上に成り立っていてそ の仕組みが不況や好況や恐慌を内包した仕組みであるのも、子守のクー ポン券の仕組みと同じである。地域通貨では恐慌が起こると犯人探し が始まって集団リンチが起きるって言ってるけど、それこそ地域通貨 の話ではなくて今の資本主義経済の話だとしか思えない。

要するにこの記事には地域通貨の話は全く出てきていないと言ってよ くて、それで地域通貨の話をしているのは間違いのない批評空間の西 部忠の LETS 論を読んだらこれもえらいことになっていて、LETS に よる交換を資本主義的に悪用されるのを防ぐために GPL に習った仕 組みを導入すると言っている。GPL は GPL によってライセンスされ たソフトウェアはそのソフトウェアおよび派生物を GPL 以外のライ センスで配布することを禁じることによってプロプライエタリなソフ トウェアに流用されることを回避する仕組みを持っている。これと同 じように LETS によって入手した商品は LETS 以外の仕組みを媒介に して交換してはいけないようにして、さらにその商品の派生物、例え ばそれが小麦だったらそれを使って作ったパンも、LETS 以外の流通 経路を使って流通させてはいけないというようなライセンスを作ると いうことらしい。ということは GPL で問題になっているようなどっ からどこまでが派生物なのか、ヘッダファイルを使っていたら、ある いはダイナミックリンクだったらどうなるんだというような話があら ゆる商品について出てくる愉快な光景が思い浮かぶ。それはともかく GPL はソフトウェアつまり情報の扱いに関する倫理的な達成であって、 情報は共有され、自由に使用できるものであることによってはじめて 人間にとって意味をなすものになる。西部忠は経済における自由を回 復する仕組みとして LETS が有効だということを言っているのだと思 うが、gcc や Emacs、その他の GNU ツール、そして Linux が GPLで ライセンスされたことによって GPL が今のように影響力を持つよう になっているのであって、その意味では「トランスクリティーク」や 「批評空間」が LETS によって流通しいないというのはストールマン がフリーソフトウェアに対して真剣であったほどには柄谷行人や西部 忠はアソシエーションに対して真剣ではないと見なす余地を残す。


日記のページ