それまではそよぐ程度だった風が何かの拍子に強く吹きつけて木々の枝葉が 揺れ出す。角度によっては視界に陽が射し込んで来て木陰にたたずむ人の目を 細めさせる。そうした一連の情景からの連想という形で風が吹いているという ことが実感できると、直接肌に受ける空気の感触は最早その確認でしかない。 あるいは似たような素振りでそれぞれの方向から感覚に働きかける二種類の事 柄が同時にお互いの確認であるのかも知れなくて、涼しく感じられるのが風が 吹いた為であることは解ってもそれが直接の感覚なのかそれとも連想によるも のなのかは既に解らなくなっている。揺れる枝葉から始まる連想は風にまつわ る様々な感覚を召還して、季節とその移り変わりの中にあってそれが心地よい 涼しさを与えることが確認された後でちょうど頬に風が当たったのでも、ある いは順序はその逆であるのかも知れない。

 いずれにしてもそよぐ程度だった風が何かの拍子に強く吹きつけた事には変 わりがなくて、葉陰から射し込んだ陽が再び陰になって涼しさが頬に当たる風 をもう一度確認する段階になれば、それが感覚に働きかけてそこで起こる変化 が感覚だけには止まらずに視覚にも及ぶことになってそれまでとは異なる新し い景色が映し出される。そのため場所は地元の人には水道道路と呼ばれる並木 の散歩道であったのが、いつの間にか鬱蒼と生い繁る木々の間をどこに向かう とはなしに頼りなげに伸びる一筋の獣道程度のものになっていた。樹木の外観 もそれまでのものとは明らかに違っていて、散歩者に心地よい木陰を提供する はずだったものが太い幹に支えられた枝が厚く生い繁る葉を蓄えているような ものになり、それに遮られて陽は地面まで届くことがない。そして水道の用水 路を塞いで出来たことからその名前で呼ばれることになった舗装された道路は もう痕跡を残してはいなくてただ道であることが確認できるだけの心許ないも のになり、それほど踏み固められているわけでもない土壌には時折足を取られ る。

 吹きつけた風のごく些細な感触が視覚へとその影響を広げて更には世界をま るで別のものに変化させる。森を包む静寂の中を風が運んで来る空気は湿り気 を帯びていて、むせるほどの樹木の匂いを感じたのは見渡す限りの視界を覆う 木々が視覚を支配しているためなのかも知れない。匂いと見晴らしの両方から 押し寄せる樹木というものの存在が世界は樹木によって構成されているのだと いうことを認識させて、その幹の太さや背の高さを確認しないではいられなく なると、この森に流れたのであろう歳月に思いが向かって幾度となく訪れたは ずの落葉の季節が作り上げた土壌を今踏みしめているのだという感覚を持つ。 深い森の奥にいるのだということが身体の中心に温度の低下をもたらしても、 それはあの並木道に風が吹きつけたときに感じた涼しさとは明らかに異質なも ので、しかし森での寒さが致命的なものであるにはそれなりの季節が準備され なければならず、散歩道に吹きつけた風が心地よい涼しさを与えたのならば今 はその季節ではない。

 見境のない世界の変化の中にあっても季節の流れはその順序を狂わせること なく時間の推移と共にある。吹きつけた風がどのような感覚を残すかにはそれ がどのような季節の中でのことであるのかを考えに入れる必要があってそれに よって風の種類も違ってくる。そしてこの森の中にも風が吹いて来てそれに揺 られて擦れ合う葉音が聞こえて来るのかも知れない。視界を支配する木々と森 の深さとの連想で風に揺られる葉音が次第に大きく聞こえ出すと、音はお互い を確認し合うようにあらゆる方向から響き出してそれが反響する。暫くの間世 界は音であり、反響して増幅する音量は地面を揺さぶり始めて、それが定着し て響き合う音がごく当たり前のものとなると反響が止んで振動は収まる。神経 が聴覚に集中していたために沈黙させられていた諸感覚は冷静さを取り戻して 世界は再び静けさを取り戻す。

 落ちつきを得てもう一度耳を澄ますとどこからともなく人々の歓声が聞こえ て来るようであって、それは森が発する声であったのかも知れない。実際に森 の木々の葉が擦れ合う時の音が自然と声を持っていて、それを人々の歓声と聞 き違えたのであっても、どこかしら休日の公園に集う人々の歓声が遠くから聞 こえて来るのと似ていてその公園の青空が連想される。そして森の中から突如 として視界が開けていけば、空は抜けるような青空であり間違いなく公園のも のである芝生が地平線まで広がって舗装されて歩きやすい道はその芝生の間を 縫って進んで行く。今まで映し出されていた深い森の奥が皮膚に残した湿った 空気の冷たい感触が甦って来て振り返ってみてもただどこまでも続く公園の芝 生があるだけで、道が蛇行しながら進んで行くその先には何本もの桜の木が植 えられている。そこでは花見の季節に人々が溢れかえるのだけれど、聞こえて くる歓声はその人々のものではない。桜の季節はもう過ぎていたのであって、 それでも時間の流れに置き去りにされた人々の歓声の孤独さが聞き取れるのか も知れない。

 休日の公園の静寂とも喧噪ともつかない人々の声は気配を消して、まだ本格 的に人々の肌を焼くほどの日差しを照りつけ始めてはいないこの季節の太陽と 霞むことのない青空があった。吹き抜ける緩やかな風が芝生を揺らし、太陽の 光がそれに反射して緑が輝く。空の青色と芝生の緑色の中間の具体的な場所を 持っている訳ではない曖昧な位置を風が吹き抜けると、どこからともなく湿っ た匂いが流れて来て、目の前に広がるのは空の青色を反射している波打つ海で あれば、その匂いは寄せては返す波が送って来る潮の匂いであるのかも知れな い。まだ海水浴の季節ではない海での静かな休日の孤独の中で聞こえて来るの が人々の歓声であっても、それは公園の歓声と同じように季節とその流れの中 で時間が置き去りにしたものであって、波の音が時折高鳴ると時間の推移に反 響して寂しげに響く。


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