そのうちにそのような丸暗記をする薬が密かに出回っているらしいという情 報を聞きつけて、その時はもう試験だとか夏休みの宿題だとかから解放された 身であったのだけれど、とにかく一度入手して試してみたいと思った。まず最 初にそういうかなり危険な薬を扱っているのだから例えばハルシオンだとかマ リファナだとかを入手するのと同じような方法なのだろうと思って、渋谷の チーマーとか池袋で売春をしている女子高校生とかに訊いてみても、何しろそ ういう人たちには慣れていないものだから色々とひどい目にあったが、電波少 年ではないのでここではそういう話は割愛させてもらう。いずれにしてもその 時には薬の存在を確かめることさえできなくて、どうしても必要というわけで もなかったのでしばらくは忘れていた。
それでなぜだか知らないけれど文学の勉強をしなければならなくなった。文 学の勉強というのはまずは本を読むことであって一冊の本を読むと次にはまた 別の本を読む必要があって、読めば読むほどかえって読まなくてはいけない本 の数が増えるばかりでその頃はまだあきらめるということをするには未熟すぎ た。それで例の薬のことを夢想しているうちに、その薬が本当に存在している のだということを思い出した。今度は本格的に薬の存在を突き止めようとして 四方八方をあたってみたのだが、今になって考えてみるとその時間を使って何 冊でも本が読めたくらいの時間である。
とにかくその薬を売ってくれる人を突き止めるのに成功して値段の面でも全 く手の届かないものでもなかったので購入することに決めた。 本を読むというのはその読んでいる時間を過ごすことであってただ知識を詰 め込むだけのことではないので、その薬は時間の感覚を調節するものだと予想 できた。時間というのは時計の時間であるよりは人間が生きているのにあわせ て流れるものなので秒針が刻むのが時間ではなくてそれは時間の観念である。 それで本を読むというのもその本が流れている時間の中にあることによって初 めて可能になる。だから時間が流れることなしには本を読んだことにはならな くて、本がそこにあるためには時間が流れている必要がある。そんな事をを考 えているのは魔法の薬の効果なのかどうなのかは解らなくても、時間を離れて その結果だけを求めるということは思わなくなって、そうなると魔法の薬のこ とはどうでもよくなってきて、どうでもいいものはなくてもかまわないのだか ら魔法の薬が本当にあったのかどうなのか疑わしくなる。
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