女相撲


我々が子供の頃、人間はそれぞれに明確な輪郭を持っていた。すべて のものが動かし難い確かさでそこに立っている感じがあったので、誰 がどのような人間であるかが自明のこととして人は人を見て、そして 夜が明けるのを待って外へ出ればそこで出会う顔は必ず何らかの個性 を備えていた。その日一日を過ごすためにやることもてんでばらばら であり、何かを楽しみに思っているとしたら、それも人によって違う ことであって、あるいはその人の好み、または性向の違いを当然の前 提としたその上で皆が一緒になって楽しむこともあったので、それが 女相撲であり、年寄りは自分たちがまだ子供の頃にみた伝説の横綱が どのような美しい肉体と技術を持っていて、いかに鮮やかな決まり手 で敵の力士を寄せ付けなかったのかを飽きることなく語り、またそれ を現在の子供達である我々も飽きることなく聞いた。しかし女相撲は そうそう見ることの出来るものではなくて、運が良ければ一生に一度、 大抵のものは話にも聞き、自らの想像力を限界まで使って目の当たり にしたかのように女相撲を頭に描くことが出来るようになったとして も、一度も実際を見ることなく死んでいくものもあると年寄りは語る。 何年かに一回、町に女相撲が来るとの噂が流れる。その度に子供達は 興奮で眠れない夜を過ごし、大人も仕事に手が付かなくて女相撲の実 際を知っている年寄りの所に行っては子供の頃から幾度ともなく聞か されて来た話をまるで自分たちが子供に戻ったようにせがみ、その年 寄りの話のごく細部までむさぼるように耳を傾けた。しかしその噂は 大抵の場合噂だけに終ってしまい、いつしか人々は誰からともなくそ れが噂に過ぎないことを確認して、銘々の日常に戻っていくうちに、 女相撲の熱に浮かされたその日々について言葉少なに苦笑を浮かべな がら語る。

物心がついた時から何回めかの女相撲の興行の噂を耳にして、我々は その時興奮の中にあった。今度こそは本当に来るに違いないと確信を 持って語る女相撲の実際を知る年寄りの話を持って朝教室に入ってく るものがいて、その日は一日中そのものの話を皆が聞き、検討を重ね、 授業が終ると同時にその女相撲の実際を知る年寄りの所に駆けつけよ うと町の大通りを掛けて行くと、我々はその通りに沿って何本もの鮮 やかなのぼりが立てられていることに気がつき、足を止めてそれを見 ているうちに、それが何度も話に聞いていた女相撲到来の前触れ、女 相撲の力士達のしこ名を入れたのぼりであることが解った。その時に 覚えた興奮を今でも我々は忘れることが出来なくて、実際にその時は 足が震えて止まらなくなるのを感じていた。


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