忘れられないのは、誰かと話しをしているときにぼくは別にその人が嫌い じゃないし、友達になりたいとさえ思っているのに話をしていることが退屈で しょうがない時があって、それはなぜなんだろう、と考えてみるとぼくという のは基本的に退屈な人間なんじゃないだろうかということが浮かんできて、そ れならどんなに楽しい人がいようと、それでどんなに楽しいことがあってもぼ くは退屈なままなんじゃないだろうか、なんて考えていて、それで最初に、忘 れられないのは、と言ったのはこのことじゃなくて、もう一度言い直せば、忘 れられないのは、その瞬間に突然の心地よさが全身を襲って新しい世界が開け ていくように感じられたことで、それは電車に乗るために駅まで歩いていく途 中のことだったんだけれど、ぼくはその何とも言えない心地よさを全身で感じ ながら駅へと向かった。

 そんな気持でいられるのも駅に着くまでのことだった。改札を通ってホーム へと進んだぼくは愕然としたんだけど、つまりこのホームを歩いているたくさ んの人達はぼくのことなんて知らなくて、だから当然ぼくの頭の中を満たして いるこの心地よさのことも知らない。それで、誰かに伝えたいなんて思うのは くだらないことだろうか、という考えが浮かんで、そうするとまた、自分は退 屈な人間なんじゃないか、という思いにとらわれる。それで下を向いて駅の ホームを歩く。楽しいことは待っていも来ない、自分から見つけに行かなけれ ば、誰かがそう言うのが聞こえたので振り返るけれどそこに誰かがいたわけ じゃなくて、そんなことは誰もが言いそうなことでぼくには関係がないのかも 知れない。退屈なんて言ってる暇があったら行動してみろよ、という声も聞こ えてきて、それでぼくはじっと足許を見つめて立ち止まってしまう。

 電車が到着してぼくが乗り込むと、電車の中では何があるのかは知らないけ れどみんな忙しそうにしたり楽しそうに話をしながらそんなふうにしていて、 その中でぼくは座席にうつむいて座って、ときおり平気なふりを装って辺りを を眺めていても、楽しそうに話をしている人達が目に入ると、なんだかめんど くさくなったので眠ったふりをしてしまう。

 めんどくさいのはなぜだろう。あの時の心地よさはぼくだけのもので誰にも 関係がないことなのに誰かがぼくにめんどくさいことをさせようとしていて、 躊躇することがぼくの憂鬱の種になる。すると走っている電車の騒音の途切れ 目からまた誰かの声が聞こえてきて、退屈なんてしてるなら行動してみろよ、 とぼくを脅す。なんでもない当たり前のこととしてぼくの回りから聞こえてく るその声にぼくは怯えて、それでも、めんどくさいんだよ、なんてつぶやいて 眠ったふりをしていると、そのめんどくさいに心が痛んでくる。いてもたって もいられなくなって、なんだか悔しくて訳が解らなくなるけれど、ぼくの怠慢 と内気がぼくをここに引き留める。

 それでぼくは退屈なまま揺れる電車の中で時間が過ぎていくのを眺めてい て、そうするとその時間が過ぎていくということの確かさがぼくを助けてくれ るような気がしてきた。その時間はほかの誰とも無関係にぼくのものであって ぼくだけの心地よさはここにあるはずのものに違いない。そう考えると憂鬱な 気分が紛れていく。ここにいてずっと退屈なままでいてもかまわないし、誰か が退屈から逃れるために楽しいことを見つけに出掛けてもそれはぼくに関係の あることじゃない。誰かが、行動して見ろよ、と脅してもぼくに関係のあるこ とじゃない。ただ時間が過ぎて行ってぼくはここにいる。

 それで忘れられないのは、眠ったふりをやめて目を開けると電車の窓から見 える夕陽がとても綺麗だったということで、ぼくはそれを見てがんばって感動 しようとしたけどめんどくさくなってやめた。それで少し笑うとあの時の心地 よさが戻ってきているのに気がついた。


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