今にも降り出しそうな曇天に憂鬱になりながら、ぼくは事務所に行くための 電車に乗り込む。その事務所は慈善団体が新しく設立した広報活動を担当する 部署で、ぼくはアルバイトとしてそこで働いていた。慈善団体は左右両派の路 線対立から組織が分裂して以来、お互いに自らの正当性を誇示するために活発 な広報活動を行っていて、その中では相手は贋物であって自分達がいかに相手 とは別のものであるかについての主張に力が入れられていたのだが、主張した からには実際に行動で示さなければならなくて、それで二つの組織はお互いに 性質の違う活動を担当するようになり、どちらもが自分達こそ正当な慈善団体 であると口にしながらも、分裂した二つの組織は今や相互補完的な性質のもの になっていることに疑いの余地はなかった。そのような状況下で広報活動の性 質にも変化が見られるようになり、ぼくが働いている事務所はある意味で広報 活動の新しい役割を模索するためのものだったとも言える。そしてぼくは事務 所に到着すると誰にも挨拶をしたり声をかけたりせずに仕事に取りかかる。そ の事務所には他に誰もいないのだった。

 それほどの距離を隔てているわけではないのに、なぜだかひどく曖昧にぼや けて見えるものがあって、それが遠ざかっていくのか近づいてくるのかさえも 解らなかった。ときおり胃液を口元まで押し上げるような力が働いて、気管の 粘膜が刺激されてその焼け付く感覚があまりにもひどいためにぼくは咳きこ む。昨日ワインを五本飲んだのだからそのために体調が悪いのだと考えてみ て、考えるだけではなく実際に体のだるさを感じていたのだが、それでも何と かあのぼやけて見えるものの正体を掴もうとしていた。胃液だかワインだかの 激しい酸味が口腔の全体から身体の全体に飢渇を覚えさせるなか、目を凝らし て、こういうのを凝視するというのだろうかと思うのだが、それでも焦点を合 わせようとする眼の運動を嘲笑うかのように対象は不明確なまま浮遊し続け る。

 午前の仕事を終えて、それでぼくの仕事は終わりなので帰ろうとして外に出 ると、今にも降り出しそうな雨を蓄えて十分な重みを感じさせていた雲はいつ の間にか姿を消していた。太陽は季節が真夏であることを誇示するかのように 激しく照りつけている。これから降り出すであろう雨とそれにともなう気温の 低下に備えてぼくは厚手の上着を着ていたのだが、頬を滴る汗が不快でならな いので、その上着を脱いでとりあえず目に付いた喫茶店に入る。喫茶店の室内 は冷房が効いていて温度が低かったために、再び上着を羽織ることになった。 アイスコーヒーを注文してしばらくは温度の変化に馴染めない身体を持て余し ていても、思い出さずにはいられない言葉があった。

 いったい何を解っているというのか。

 誰かがぼくにそう言った事があるのかも知れない。それで目を凝らしてみて も、ぼやけたまま浮遊し続けるいたって曖昧な対象を見る他には何も解るべき である事などはないはずだ、とぼくは思う。今にも辿りつきそうにみえる距離 は、それでいて永遠の遠さにある。もしそこに辿りつくとしたら、ぼくは幸福 になるのか、あるいは耐え難い苦悩に取り付かれるのか。いずれとも判然とし ないまま、まだ幾許かの猶予を持ってぼくの前に存在するかに見える対象の曖 昧さにどう対応したらいいのか解らずにいて、その永遠とも見える距離に内包 された間違いようのない近接に震え戦いている。運ばれてきたアイスコーヒー にガムシロップを入れるかどうかを決断しなければならない。ぼくは決断の遅 延としての行動を起こすべくストローの袋詰めを解いて、グラスに蓄えられた アイスコーヒーから一口啜ってみる。そこにガムシロップを入れるのは果たし て得策であるのかどうか解らないままだった。

 まだ猶予があることの確かさを確認できずにいるうちに、いつしかごく身近 にまで迫ってきている可能性を考えてみて、それで本格的に目を凝らしても、 焦点を合わされることを頑なに拒否し続けるぼやけたままの対象を捉えること は出来ずにいた。ガムシロップを入れるという選択肢を放棄して喉に流し込ん だアイスコーヒーが胃液、あるいは昨日しこたま飲んだワインの酸味による口 腔の渇きをいくらかは緩和し始めたようでいても、口から食道にかけての粘膜 にはいささかも中和されることなく残る違和感があって、ただ今度はそれが湿 り気を帯びて重く粘り付いるというのが先程までの焼け付くような感覚とは違 うという、ただそれだけのことだった。

 慈善団体の仕事に向かうぼくの態度はいたって誠実なものだった。アルバイ トの同じ時給なら出来るだけ手を抜いて楽をした方が良くてそれがアルバイト というものだ、などとは考えていなくて、生活していくためのお金を稼ぐこと に誠実であるのは生活そのものに誠実であることにつながるし、それが仕事の 上の態度で示すことで保証されるのかもしれない、と考えてみて、果たしてそ れで正しいのだろうかと不安が起こる。その不安を打ち消すためのいかなる思 考の流れも用意できずにいたのだが、その上ぼくが慈善団体の事務所に行って やっていることが本当に仕事と呼べるものなのか解らなくなってくる。アルバ イト採用の面接をしたぼくの上司にあたると思われる職員の顔を思い出してみ る。その職員はぼくを採用した後、一通りの仕事を教えることも慈善団体の活 動内容を説明することもしないうちに別の部署に異動になって、それ以来ぼく は事務所の開く時間に出かけていっては自分なりに仕事と思われることをする のだけれど、他に職員は一人もいないので、どうすればいいのか解らなくてい つも午前中で仕事を終えて帰ってしまう。それで勤務表を提出しているわけで もないのに毎月給料日になると契約の時に指定された時給と交通費が正確に勤 務した時間分だけぼくの口座に振り込まれていて、ぼくはそのお金で生活をし ていたのだが、いい年していつまでもこんな生活は続かない、と言われること もあって、ぼくも長く続かないことを願っているのかも知れない。いつしかあ の、それほど遠くにあるわけでもないのにひどくぼやけて見える曖昧に浮遊す る所に辿りつくとしたら、そこから始まるのが幸福な生活なのか、あるいは苦 渋に満ちた生活なのか。そのことを想像してみて気を紛らわせる。まだぼんや りと視界を横断して遠ざかっていくのか近づいてくるのかさえも曖昧なままの 対象はどこかしら何かに似ている所があるようでいても、それは焦点を合わせ てそれが何であるかを見定めることを頑なに拒否し、無方向で無根拠な運動を 続ける。ぼくはただ眼を凝らすだけだった。


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