君と僕がなす一つの世界ということを考えて見ることも出来て、二人で道を 歩いている時に風が吹いて相手の前髪が揺れるのが額にふれる感触をいつの間 にか自分のもののように感じることがある。これは言葉にはならないことなの かも知れない。そしてそれは相手の感じているのを想像した結果とも言えなく て、実際にそこにいる二人の間には何かを同じように感じることがあるので あっても、それが二人であるからにはその間には亀裂が生じてそれがこの一つ の世界を横断して行く。世界を突き抜けていくこの亀裂がその不断の運動に よって絶えず世界を更新して行き、そこには時間が流れる。あるいはここで亀 裂が生じる原因を時間の流れに求めることも出来て、実際に相手の額の風に吹 かれた前髪の感覚を自分のもののように感じたことがしばらくたった後では錯 覚に思えて来るのはその感触を置き去りにして時間が流れたためだとも思われ る。しかしそれが時間の埒外に置かれるのならばそこに亀裂が生じることもな いのはそこには時間が流れないからであって、ここに世界をなすに足るものを 見るのならばそれの外側というのは存在しない。つまり錯覚の余地はここには ないのであって、確かな手応えで感じられた感覚は時を経ても変わらずここに ある。この変わらないものは実際にはどこまでものびて行く亀裂によって絶え ず更新されていて、つまり不断の変化によって変わらずにそのものであること を続けることが出来る。

 世界は二人の間を突き抜けて行く一筋の亀裂によってここにある。その亀裂 はどこからでも始まりどこへでも向かってのびて行き、風が吹くのもそのため ならばたまには強く横風が吹きつけて来て足を取られる。それで何かを見失う こともない。その間に世界が何か別のものに変わってしまう訳ではなくて、も ちろん絶えず変わってはいるのが、その外側というものが存在しなければ横風 に足を取られている間でもこの世界の中にいる自分は変わらずにある世界を認 める。あるいは風が止めば前とは違っているのと同時に何一つ変わってはいな い世界がある。そしてこの変わらなさは絶えず変わって行くことによって保証 され、例えば一言の言葉、あるいは音楽でもが響けば世界はその姿を変える。 何か新しいものが世界の中に加えられたのではない。途切れることのない持続 がここに亀裂を穿つ。それが至りつく先は誰も知らないのであるよりも途切れ ることがないのならばそれはどこまでも続くということであって、ゲルマント の方へ行く道はその名前の起源や時間の流れとともに衰える社交界での地位で あるよりもただ道として我々の前にある。

 一篇の詩、また一曲の音楽が世界に響けばそれで世界が変わることに なるのは今までは曇っていたのが風の流れで雲が途切れた間から太陽が覗けば 世界の色合いが変わるのと同じであり、時間がたてば太陽は地平線の向こうへ 沈んで行き、また昇る。二人が道を歩いているところへ戻るのならば、その相 手が自分に向かって何かを言うその一言が世界を変える。そして太陽が再び昇 るのと同様に二人はどこかへ戻って行くのかも知れなくて、それでもそこは前 にいたのとは同じ場所とはもう言えない。二人の間に亀裂が生じてそれが世界 をなすのはその戻ることをする二人が戻る場所はもうすでにそこにはなくても 戻るという言葉の正当な意味でそこに戻ったという事実が動かしがたいために 生じる亀裂を挟んでの段差をそこに見るためなのかも知れない。そこに戻った 我々は辺りを見まわして、世界はどこにあるのかと考えるのだろうか。それは どこにあるのでもなくてここにある。そしてそこに戻って行く他ないのであっ てもその戻る場所は既になくて、亀裂を挟んだ段差を乗り越えてその向こうへ 行くことは出来ない。


<目次>