文学における日本とヨーロッパの交渉がどのような形を取ったのか、あるいは文学における諸国の交流と文学との本質的な関係というのを考える時に、特に戦前の日本においてはヨーロッパ文学の影響を抜きにして文学を語ることは出来ず、外国文学との交渉を何らかの原点とする文学のあり方、及びその形態について論じたのが「東西文学論」で、殊にその前半、吉田健一は抽象に陥ることを避けたと書いているが、あるいは概論と位置づけられるかも知れないその前半の部分が注目に値する。「東西文学論」はこの作者の初期に属する作品で、「英国の文学」でもしばしばフランス文学との対比で英文学を語っていたその手法に即して、一国の文学が他の国の文学の影響から外れて成立することはあり得ず、その影響がどのような形を取るかに注意することが、この場合は日本の文学を見る上で重要であって、また外国文学からの影響を論じることは日本の文学を論じることと同じと見なすに足るだけの根拠があるとする。

 ここで言う日本の文学は明治以降のものであって、外国文学の影響というのは日本だけに限らず現代において殊に重要さを増す。独自であることよりも影響の元にあることの方が遥かに文学に対して充実をもたらすのであり、その状況は現在でも変わっていない。この本にはある意味での苛立ちが感じられて、それはそういう事態に対する認識の不足、また影響を咀嚼して自らのものにする努力を省こうとする怠け癖に陥っている現在の状況に対する反発であり、従ってその反発がなすのは理想であるよりも現実であり、つまり反発の対象は現実を見ようとしないものに向けられる。

 外国文学との交渉の下にそれを自国の言葉で表現することへの努力を行い、そのことによって切り開かれる領域がある。世界のどこにも全く存在しないものを新しく作り出すことを目標にするというような現実離れした状態に後退してそれにしがみ付いていれば、外国のでも日本のでも文学を学ぶ努力を省略して何かをでっち上げているうちにある種の成功を収めるということも考えられる。しかしその成功はその場限りのものに止まり、限りなく広がる文学の世界に遊ぶ余地を残さない。実際に我々が文学に惹かれるのはそれがどこまでも広がって行くからで、それを追って行けばどこへでも辿り着き、そしてその限度を広げる努力はするのに足る。

 言葉が取る形には限りがあって、しかしそれは人間の到達する限りの所へ広がっている。つまり言葉によってどれだけのことが出来るかは人間にどれだけのことが出来るのかに掛かっていて、その成果は我々を惹き付け、ある作品における他の作品からの影響を見るときにはその広がりへの道筋が引かれるのを感じる。文学の仕事はその道筋を辿り、行き止まりがあれば切り開いて、またそこを別のものが辿り、あるいは全く別の方角へと向かって進んで行く。それは我々に無限を感じさせるのに足りて、また限界を感じさせもするうちにまたその限界が一つ開かれる。


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