足を挫いた。-4

 日暮里駅で電車を乗り換えようとして階段を降りている時に別に躓いた訳で
もないのになぜだか足を挫いたらしくてひどく痛み、まともに歩くことが出来
なくなった。 痛む足で何とか歩いて行く駅の中はただ騒々しくて広告の看板
がけばけばしく目を引いてもそれが何なのか輪郭がぼやけていてよく解らない
まま胃がむかついて来るので、売店でアイスクリームを買うとそれを持って男
はベンチに腰を降ろした。こういう時には空が晴れているのかどうかも解らな
いし、風が吹いてそれが頬に触れても風が吹いたということは思わなくて、ア
イスクリームが蓋の剥したのに薄くひっ付いているのを見てようやく一息付け
たという感じがする。多分今は平日の昼間でそういう曜日とか一日の間の変遷
というものとは大分前から縁が薄くなっているように男は感じて、これは季節
ということでも同様である。実際にアイスクリームが端のほうから溶けて軟ら
かくなって行くのを見てもそれで気温が高いのかどうか解らなかったし、そも
そもこのアイスクリームの蓋を空けてからどのくらいの時間が過ぎたのかにつ
いても男には確信がなかったし、電車が走って行く音が聞こえると自分が恐怖
を感じていることに気が付くが、いったいその恐怖をいつから、何が原因で感
じているのかが思い出せない。

 電車が走って行く音の、その単なるでかいだけの音のほうに対して恐怖して
いるわけではなく、そう考えるとならば音にだけ驚ければそれでいいような気
もするが恐らくその恐怖というのは果たしてこの電車といういきものはどうい
うつもりでこんなうぶごえをあげるのかとかいう、体をなさない考えにゆえん
しているような気がする。

 もうすこし思いを越して考えるならいったいその恐怖は、例えば女がわめき
たてるその声は小さくささやくようなのに、変に雄弁でなぜ女がわめきたてる
のかがさっぱりわからない、さっぱりわからない女の声はでも確固たる場所を
握っていて例えば意味をなさないことばでも天ぷらにころもがつくように粒状
のものや波状のものがまとわりついている。もちろんそんなものは電車の音と
同じで体をなさないから、女の頭はくたびれたキャベツみたいだという。

 そういうキャベツみたいな頭をした女のことを駅のベンチで殆ど瀕死の状態
に陥っている頭で考えていると他人というのが男のまわりを囲んでいる平板な
壁のようなものになってくる。個別にそれぞれの人間の顔を見れば見分けるこ
とは出来て、隣にいる人間とその人間が違うものだというのも解っても、結局
どこか似ているその二人の印象から安心してしまって違った所のある二人だと
いう所まで心配が及ばない。会社員ふうの男が電話で話しながら前を歩いてい
くだけなら、その男がいるというだけで済むのに、どうしてまた同じような恰
好をしたのが同じようなことをしながら歩いて行くのかといぶかしく感じるが、
残念なことにその考えも途中で音もたてずに折れ曲がった。

 折れ曲がった考えかたも痛む足も汗をながしながらこらえるでもなくただ一
人ベンチに腰をおろすのが関の山で、どうしてまた同じような格好をしたのが
同じようなことをしながら歩いていくのかという考えが、同じように喫茶店に
座っている若い男のことをかんがえる。

 喫茶店に入った若い男が髪の長い女の店員に声を掛けて二人は見つめあって
しばらく時間が過ぎ、次の場面では女の部屋のベッドの上で二人は抱き会い、
その次の場面では朝になって白いシーツの中で二人は眠り、何年か経つうちに
結婚式をあげて家庭を持ってまたしばらく経ち、そのうちにお互いにどうとい
うことがある訳ではないが自分たちの生活がうまく行っていないのを感じてい
つしか別々の暮らしをするようになるということを男は考えてみる。すると女
がそれは違って人生というのは単純なもののはずであるということを言う。そ
う言ってしまうと女は堰が切れたように声をあげて泣き出して、私が今のよう
な私であるのは結局のところ私の責任だし、振り返ってみればやりたいことを
やりたいようにやって来たことには悔いがなくて、あるいは後悔するのは死ん
でからでも遅くはなくて、こんなことをしていれば遅かれ早かれ死んでしまう
とあなたは言うけれど子供の頃から病弱だった私はこんな年になるまで生きて
いるとはとても想像出来なかったし、ただ家に帰る途中で歩きすぎて駄目になっ
てしまった靴をそのまま履いているのが嬉しくなって来て自分が畑に生えてい
るキャベツみたいに思えたので何だかとても気分がよかった。

 陽射しが強まってきたようで、駅のホームの屋根の作る影の部分と影になら
なくて地面から光が強く照り返す部分との境界が明確に浮かび上がり、ホーム
に立っているコンクリートの柱も陽射しを受けて白く光る部分と影になる部分
とに別れる。何事にも裏と表があるとしたら、その二つは不可分であると同時
に比較することが出来ないものとして構成されて、その異質な要素の対比によっ
て静寂が訪れるとその二つの要素とは違う第三の力の影響で余剰が生まれて男
は声を上げて泣きそうになるのをすんでのところで止めた。
 自分がなんとなくそういうしかたのない気分になっていることも、会社員風
の男が歩きながら電話で話している話の内容も、暗号化された文書も、新製品
のキャッチコピーも、精神科医の作家が書いた新刊本も、畑のキャベツも、あ
るいは案山子もそういうものはすべて等価であると考えられた。
 ここに女がいて男がいて、そいつらが一生を送るということがこの世の中で
はなされていて、そのことじたいはべつだん違ったふうではない。
 見つめ合った二人がたどり着こうとするその先々は、おなじこととしていく
らでもくりかえされまたどこにいても見つめ合う二人はいる。その違ったふう
でない愛というもののことが実際は当人同士でさえ片側からしかよくわからな
いので、外側からみた人間はそのことをわかってやることはない。かりにもし
その先に手を触れようとしても腕がもぎとれるかはじけとぶのがさだめで、そ
うなってしまっては人としての綜合はうしなわれて、はじけとんだ右腕はもう
自分のものではないし、届いた先にも単なる肉塊でしかないのだ。
 駅の看板の広告は同じ形をしていて同じ大きさをしていて、けしてまじわる
ことがないし、均一で色とりどりなその景色は、コンクリートの柱が日差しを
受けて白く光る部分と陰になる部分と同じで、男に声を上げて泣きそうにさせ
るに十分だったし、またその嗚咽はいくらでも別の場所別の時間に起こってい
て、そのまったく同質の歓喜は、くりかえされるが決してまじわることもない
し、かりにまじわったとしてもはじけとぶしかないので伺い知ることはできな
かった。男はそのはじけとぶというしぶきにも似た風をかんじ、やがてその冷
たさのおくからこみあげてくるものがあってそれはあの暖かいなみだだった。

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