創刊号-1

 何か書かれたものが作品と呼ばれること、そしてそれを書いた人間が作者と呼
ばれることについて異義を唱え、ここで作品と作者の従属関係、あるいはいかな
る関係をも否定しようと俺達が試みているとは思わないでもらいたい。またそれ
らの作品が文学という総体に属すると同時に自らが文学を形成しつつあるもので
あるという主張に対立する立場に俺達がいるわけでもない。このような種類の関
係というものについてここで述べるのではないのであって、例えば著作権という
ものがその理念に従って著作物を定義してそれに対する著作者を確定し、その権
利を保護することの根拠となる諸々の関係性というのは書くこと、そして言葉を
発することを阻害する要因となるとは俺達は考えない。つまり書くことが困難で
あるとしたらそれは書くことの性質の問題であって、書くことをする主体とかそ
の材料の制限、書かれたものの形式の問題ではない。
 書くとか言葉を発するとかいうことをする時に俺達が直面する困難というのは
書き上がったものの愚劣さではないので、それはもう壁の向こうの出来事である
気がして、そこには心配が及ばない。俺達が心配するのはその壁の向こうにまで
続いている書くことの累積があって、俺達が書くことによって実体化しようとす
る対象はその壁を挟んでいつでも交換可能であり、また常にそれらの諸対象は同
時にやってきて、それでいて決して両立することがないという点にある。例えば
泣くことと笑うことを合わせ持つ実体というものはないが、泣くことは笑うこと
なしには成立しない。対象となる一つのものを見定めてそれにを言葉として発し
ようとしても、その対象は両立しない等価なもうひとつの対象との相互参照によっ
て成立していることにここで俺達は気が付く。ここで実体が成立するとしたらそ
れは既に比喩でしかない。実際には同時にやってくる等価の点を時間的連鎖の軸
に従って配列し、関連付を行い、分類して首尾一貫した実体として定義するとい
うのが比喩ということであって、ここに俺達は両立しない諸対象の動的参照によっ
て為される書くということが経験する痙攣を見ない。この比喩によって為された
実体は全く容易に書くということを実現する。時には主体の一貫性を根拠とした
表現行為であり、あるいは総体の規範に従ったその実現である。
 このような比喩による実体の形成を定式化したのが小説と批評であると俺達は
考えている。これらが常に目指していたのは現実の再現であって、社会とか時代
とかを観客の前に広がる舞台として形を整えて再提出し、その舞台の上で行動す
る人物の成立に根拠を与え、またその行動を首尾一貫したものとして示すのに背
景に奥行きを与えて、その連鎖を提示して動機を成立させる。小説とか批評とか
が可能にしたこれらの比喩というものがそれらの本来の性質とどのような関係に
あるのかをここで詳述することはしない。ただそれらの成立と発展が書くことと
読むことの一般への普及と連鎖していて、その過程で時間軸に従った諸対象の連
鎖や主体に対して、あるいは総体に対して行為の根拠を求めることが広く一般に
普及したのは事実である。
 このような事柄に対しては俺達の心配が及ぶ余地がない。俺達はそれらの諸対
象を動的な相互参照として見るのであってそのような継起や連鎖をそこに見るこ
とはしないし、消失点を設定することによって対象を全体のなかで整合性を持っ
た位置へと配置することもしない。俺達は書くことの困難を決定的なものにする
必要を感じていて、物事の関係性の連鎖を切断し、両立しない相互に参照する等
価点という断面の成すうねりをここで示そうとしている。その断面に凍結された
動的な参照の実体としての行為が書くことであり、また書くということで黙るこ
とと叫ぶことが同時に起こるのであって、それ以外に書くこということはもはや
成立しないのではないだろうか。

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