メロスは一気に峠を駆け下りたが、さすがに体が悲鳴をあげた。メロスはくらくらとめまいがした。いや、大丈夫だ、とメロスは思った。しかし、いつのまにか歩くようになってしまっていて、ついにがくり、と膝をついてしまった。
 メロスはくやしくて泣いていた。それから、自分はあの濁流を泳ぎきって、あの山賊どもを倒し、ここまで休まず歩いてきたのだ、自分は立派だったのだと思った。
 メロスはくやしくて泣いた。メロスは負けた。
 愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されるだろう。
 おまえはだめなやつだなあ、メロス、これしきのことでまいるなんて。とメロスは自分をしかったがだめだった。メロスは負けたのだ。
 おまえはだめなやつだな、おまえの苦痛がなんだ、おまえがこうしている間に、あの大切な友人が一人、おまえを待って殺されるのだ。メロスは自分を叱ったがだめだった。もはや芋虫ほども体が動かないのだ。メロスは負けたのだ。
 メロスは負けた。しかし、負けてもくやしくはなかった。あの王はきっと、なにか勘違いをして俺を笑うだろう、とメロスは思った。このまま行けば、やはりそうか、といって笑うだろう。しかし、不思議とくやしくはなかった。
 メロスは思った。でも、セリヌンティウス、きみは分かっているだろう。僕たちは友達なのだから。本当に、申し訳ないけれど、がんばったんだ、セリヌンティウス、せいいっぱいがんばったんだよ、セリヌンティウス。ごめんよ、セリヌンティウス。
 メロスはそれから大いに泣いた。
 セリヌンティウスは、きっとメロスがどうしようと何も言わないだろう。メロスがなにをしようと何も言わないだろう。それはメロスが友達だからだ。昔から、そうだったのだ。二人は昔から友達だったのだ。それは王が笑おうが、なにをしようが、変わらないものだった。
 変わらないならばこのまま村に戻ろうかとメロスは考えた。自分は負けた。自分は裏切り者だ。自分は裏切り者だが、血をわけた妹はそれについて何もいいはしないだろう。
 だからこれはメロスだけの問題だった。じぶんは裏切り者だ。他人がどう言おうと、これはメロスだけの問題だった。
 正義とか、愛とか、考えて見れば、それはもうすでにこの世に満ちあふれているのだ。王でさえ愛にまもられている。なにも、ふりかざすものではない。メロスは思った。
 正義も、愛も、それはもうすでに満ちあふれているのだ。俺には、それをどうすることもできやしないのだ。だから、この世はすばらしいのだ。なるようにしかならぬ。自分は裏切りものだ。もう、どうでもいいのだ。メロスは四肢をなげだした。しかしすべてが満たされていた。メロスは諦めた。もう、しようがないのだ。やんぬる哉。
そのとき
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