そのとき、何か音が聞こえてきた。

 水の流れる音だ。

 もう一度、メロスは耳をすました。

 水の流れる音だ。

 メロスはよろよろと起きあがった。よろよろと起きあがって、見ると、岩の裂け目から水がわきあがっていた。メロスは身をかがめた。両手で水をすくって、それを飲んでみた。
 メロスはその水を飲んだら元気がでてきた。まだ歩けると思った。メロスはのろのろと歩きはじめた。時間は夕方だ。もう間に合わないだろう。太陽はどんどん沈んでいく。メロスが走るよりも遥かに早い。メロスは、もう間に合わないのだ。


 時間は夕方だ。もう間に合わないだろう。メロスは思った。メロスは走っていた。
太陽はもうはんぶんばかり沈んでいた。メロスは走っていた。時間が遅すぎた。
 俺を待ってくれている人がいる。メロスは走った。俺を信じて待っている人がいるのだ。メロスは走った。心臓はもう限界にきていた。もはや痛みは限度をこえていた。俺を信じて待っている人がいる。メロスは叫んだ。もう間に合わないだろう。メロスは走った。俺は信頼されている。メロスは言った。俺は信頼されている。俺は信頼されている。メロスは走った。俺は信頼されているのだ。メロスは信頼のために走っていた。
 メロスは町へ出た。

 道行く人をおしのけて、はねとばして、メロスは走った。中には彼に怒る者がいた。
メロスは走った。犬を蹴飛ばし、小川を飛び越え、メロスは走った。中には子供の泣き声も聞こえた。太陽が沈むよりも早く走った。メロスは風のようだった。

 すれちがう人の声がかすかに聞こえた。
「いまごろは、あのおとこも、はりつけにかかっているよ」

 それはセリヌンティウスのことだ。メロスの友達のことだ。急げメロス!。遅れてはならない。友達を裏切ってはだめだ。メロス。走れ!メロス。
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