日記 - 2002年4月

2002年04月01日(月)

#1 XEmacs

新しい Windows 版バイナリがリリースされたのでそれ相当の Mule 版を作って公開

#2 音楽の流刑地

表紙の壁紙 が俺と長谷川さんのツーショットになっている。

#3 .Net Framework SDK

.Net になって Visual Studio とは別にコンパイラはただで使えるよ うになったので早速ブロードバンドを駆使して160Mのファイルをダウ ンロードしてみたが、ファイルが壊れているとか言われてうまくいか ず、分割ダウンロードの方をダウンロードしたら何とかインストール 出来た。それで試してみたが、cl.exe に -O2 とかを指定すると「標 準の編集コンパイラでは最適化は使用できません」とか言いやがるの はどういう意味だ。どのコンパイラだと最適化が出来るんだ。

2002年04月04日(木)

#1 戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。

ピチカート・ファイブのトリビュートアルバムを買った。水森亜土と か夏木マリとか和田アキ子とか面白い。岸野雄一は前にオズディスク のはっぴいえんど祭りでくにゃくにゃ踊っているのを見たのが印象に 残っているが、その時の ビデオ があるらしい。ルケーチのところで宮沢さんのストラップがビニール の紐なのを確認しようと思ったがよく解らなかった。

このトリビュートアルバムのタイトルは吉田健一の引用らしいんだが、 大学生のときに図書館にある吉田健一著作集を全部読んでいるにもか かわらずこの文章は記憶になくて、ただ推測だと、1965年くらいまで に書かれたものではないだろうか。それ以降だと文の中にこんなにいっ ぱい読点を入れないし、美しいというような言葉を前後の文脈にもよ るがこんなふうに不用意に使ったりはしないと思う。

吉田健一のこれしかないという一文は「春の野原」という小説の中の 「カルカッタはインドにあるから、インド人が沢山いて面白かった」 というので、この小説を最初に読んでいてこの文が出てきた時は腰が 砕けた。これにメロディ付けて歌ってほしい。

2002年04月30日(火)

#1 ロンドン・パリ8日間の旅

4/13

日暮里の京成線に乗り換える改札で待ち合わせをしていてちょうど時 間に着いたので中野さんに電話をしたら中野さんも改札の前にいると 言っているに姿が見えないので乗り換えの改札が二ヶ所あることが解っ た。そのまま改札の中に入ってホームで落ち合い成田エキスプレスで 空港に向かう。空港ではHISの窓口でチケットを受け取りアエロフロー トの窓口でチェックインして両替場に並んでポンドを手にして搭乗口 に入り出国審査を済ませ免税のタバコを買いと順調にことが運んだと ころで店に入ってビールを飲む。

去年イギリスに行ったときに色々と楽しかったので岡くんがイギリス にいる間にもう一回行こうと思っていたが、最初に考えていたのは夏 の初め頃で、今回は中野さんがイギリスに行くのに一人で飛行機に乗 るのが嫌なので一緒に付いて来て欲しいという話になって中野さんが 行かないと岡くんが落ち込んで大変なのでこの時期に行くことになっ た。飛行機がアエロフロートなのは別にお金の節約のためではなくて チケットを取るのが遅れて直行便が満員になっていたので、食事は乾 きものしか出ないとか、客室乗務員は無愛想だとか、とにかくサービ スに期待しないようにと旅行会社の人に言われながらアエロフロート で行くことになった。

実際に乗ってみるとアエロフロートは乗務員の愛想はそれなりにあっ たし、温かい食べ物も出たし、モスクワの乗換え口の荷物検査のおば さんが恐かったのとロシアのビールがまずかったこと以外は特に問題 もなく、恒例になっているらしい着陸するときに乗客が拍手をすると いうイベントを体験してヒースローに到着した。

岡くん、座間くん、そしてリサちゃんが座間家と書いてある横に矢印 がついてる紙を持っているという前に来た時と同じネタで出迎えてく れる。ロンドン市内に向かうためにヒースロー・エキスプレスの切符 を買おうとするが券売機がつり銭切れのためせっかく両替してきたポ ンドが使えないのでクレジットカードで買ったら今度は電車の中で検 札の人にお前の持っているのは切符じゃなくてクレジットカードのレ シートだと言われてあせったりしながらパディントン駅に到着する。

パディントンからはタクシーで行くことになって、前に来たときは一 回もタクシーに乗らなかったので初めて乗ったのだが、ロンドンのタ クシーの中は普通の車とは大分違う仕組みになっていて、後ろの乗客 用の席の前が広くなっていて運転席と助手席の後ろにそれぞれ折畳式 の椅子があり、これで五人一緒に乗れるようになっている。

岡くんと座間くんの住んでいるフラットはロンドン中心部の東の端、 ブリックレーンとベスナルグリーン通りの間にあり、その家の面する 通りの名前を取ってグランビー荘と呼ばれている。タクシーで到着し た一行は晩御飯の買出しに出掛ける。酒屋でビールを買い、カレー屋 とケバブ屋をはしごして食料をそろえてグランビー荘に戻り、飛行機 の中で何度も食事をしたので皆がカレーやケバブを食べているのをた だ眺めながらビールを飲んでいるうちに一日目は終わる。

4/14

グランビー荘は三部屋あるのだがそのうち一部屋が今空いているので その部屋にイギリスいる間泊まらせてもらうことになった。空き部屋 だけあってカーテンがなく、窓際にあるベッドに寝ていると朝日が直 撃して自然に目がさめるので、昨日ビールを飲んでぐっすり眠ったの とあわせて時差ぼけが一気に解消したように思えた。

岡くんは英語を習うためにイギリスに来たはずなのだが途中でお金が なくなって就職したらしい。イギリスの就職事情を評判で聞く範囲で は、イギリスで優秀な成績を残して学士や修士を取った人でもなかな か就職先が見つからないらしくて、それにもかかわらずろくに英語も 出来ない岡くんが就職できるというのはどうにも理不尽なものを感じ るが、コンピューター関連の職歴があればそれほど就職は難しくはな いのではないかと本人は言っていた。

それでその就職した会社というのが主に日系企業がロンドンに構える 事務所のネットワークを構築したりする仕事をしていて、社員の半分 くらいは日本人ということだった。その会社で岡くんの上司になって いる副島さんという人がマラソン好きで、今日ロンドン・マラソンを 走っているというので見に行くことになり、バスに乗ってロンドンの 中心の方に行く。トッテンナム・コートロードでバスを降りてそこか らピカデリー・サーカスに行く途中の岡くんがロンドンに来て最初に 入ったというケバブ屋でお昼を食べることにする。ビールを飲みなが らケバブを食べていて、ビールのお代わりを頼もうとすると店員が無 視するので腹を立てた岡くんが絶対にチップは払わないと息を巻くが、 勘定書にはサービス料十パーセントと指定されていて有無を言わさず 徴収される。

ロンドン・マラソンのゴールはグリーン・パークで、そこで副島さん と合流することになっているらしい。その手前のピカデリー・サーカ スにある三越で副島さんの奥さんと、それから岡くんの同僚のヒロさ ん、その彼女のいまいち名前の記憶に自信がないが確かチカさんだっ たと思う、とにかくその人たちと合流してグリーン・パークに向かう と、そこはマラソンを走り終えた人や応援に来た人でごった返してい る。さらに副島さんの子供とその子供のおばあちゃんを加えて副島さ んがゴールするのを待つ。天気は多少曇り気味でロンドンにしては天 気のいい方だと思うが、前に来た時の一週間ずっと雲一つない青空だっ たのと比べると見劣りはする。しかしロンドンは湿気が少ないせいだ と思うが空気がとても澄んでいてそよぐ風が顔にあたるのが心地いい。

ゴールの前で待っていたが結局合流できたのはバス停の所で、そこか らバスに乗って皆で副島さんの家に行くことになってたらしいがバス が来たときにヒロさんの彼女が用事があるので帰るといって挨拶をし ているうちにおばあさんと子供だけバスに乗って残りの人たちは乗り 遅れてバスが発車してしまう。ヒロさんがそのバスをものすごい勢い で走って追いかけてどうにかこうにか停めておばあさんと子供を救出 した。関係ないがロンドンのバスは後ろに入り口があるのと前に入り 口があるのの二種類があって、後ろに入り口がある方は入り口にドア がなくて適当に飛び乗ったり飛び降りたり出来る。前回ロンドンに来 た時にバス停でバスを待っていたら発車したバスに飛び乗ろうと全力 疾走でバスを追いかけている人がいて今まで生で見た走っている人間 の中で一番速度が出てたように思えて、それが見られただけでもロン ドンに来てよかったと思った。

それでとにかくバスに乗って副島さんの家に向かう。ロンドン北西部 の高級住宅街の途中にはアビーロード・スタジオなどもあるところを 抜けて行き、さらに途中で副島家の人たちは車、残りは電車に乗り換 えてロンドン郊外のセント・オルバンスまで行く。ロンドンから北に 行くとすぐに平原が広がり、恐らく牧場だと思うが羊の群れがいたり する。しばらく電車で行くとセント・オルバンスに到着して、そこは ロンドンとは違って落ち着いた静かな街で、途中の酒屋で手土産用に ビールを買ってパブでビールを飲んで時間をつぶす。

夕方で教会の鐘が鳴り響く中、住宅街を歩き副島さんの家に着く。持っ てきたビールを飲んだり出してもらったオーガニックのワインなどを 飲みながら、色々話をしているうちにそれほど沢山飲んだつもりはな かったのだが強烈に酔っ払い、夜になってお暇するあたりから記憶が なくて途中のリヴァプール・ストリート駅で電車賃を清算したことな ど断続的にしか覚えていないが、とにかく岡くんとヒロさんに引きず られてどうにかグランビー荘にたどり着いた。

4/15

とてつもない二日酔いで目が覚める。その後も頭痛、吐き気、その他 の症状に耐えながら布団の中にもぐって回復を図る。それなりに復活 してきたところで起き出して中野さんと座間くんとともに家を出て、 今日は岡くんの会社を見学しに行く。岡くんの行っている会社はニー スデンというロンドン北西のかなり辺鄙なところにあって、行くのに 一時間半くらいかかる。

ニースデンの駅を出るとそこには見事に何もなくて、岡くんが昼休み になるまで時間をつぶさなければならないのだが駅から小さな道が一 本伸びている先を見ても店らしきものは見当たらず、座間くんが駅の 売店の人に近くに店はないかと聞いたら歩いて十五分くらい行けばあ るかも知れないと言われたらしい。それで岡くんに電話をするとテス コがあるのでそこで待っていてくれということなので、テスコを探し て道行く人に道を尋ねながら住宅街を歩き、高速道路を渡ってたどり 着いたテスコはロンドンの街中にあるのとは比べ物にならないくらい でかくて、スーパーがこんなに大きくていったいなんの役に立つのか 疑問に感じる。日本の郊外で大型のスーパーはあっても店の中はただ 広いだけではなくてそれなりにものが詰まって陳列されているのでそ んなにだだっ広い感じはしないが、このテスコは無闇とだだっ広かっ た。店の中を見物していて炊飯ジャーみたいなのがあるので何かと思っ たら揚げ物を作るやつらしくて、さすが食べ物の大半は揚げ物の国だ けあるなと感心したり、中野さんがサンドイッチが並んでいる棚にお いしそうだと言ってくぎ付けになっているのに、さすが中野さんだと 思って感心しているうちに岡くんが来た。

ヒロさんと、それからルリコさんという人と、もう一人名前を忘れて しまったが女の人がいて、会社の同僚ということだった。岡くんとヒ ロさんが背広を着ているのを見て、イギリスでも会社員は背広を着て 会社に行くという当たり前のことに気がついて不思議な気がした。テ スコの隣にはこっちも馬鹿でかいアイケアという家具屋があってそこ で昼飯を食べることになり、学食のように皆でトレーを持って並んで 料理を一つずつ取っていく方式になっているその食堂でふにゃふひゃ のパスタを食べる。昼休みを終えて会社に戻る皆さんと一緒にテスコ の裏から壊れた柵をくぐって行くという裏道を通ってコンピューター 関係の小さい会社の事務所が軒を連ねている感じの所の一角にある岡 くんの勤務先である会社を見学する。食事中らしくてスプーンを持っ てうろついている人と、ないすとぅみいちゅうなどと挨拶を交わしな がら事務所の奥の機械の設定作業場みたいな所に行き、そこが岡くん の仕事部屋らしくて、そこにある機械を眺めながらお茶を飲む。

岡くんたちが仕事が終わるまで時間をつぶすということでアイケアに 戻って中の散策に出掛け、二日酔いでかなりつらいのでソファーを見 つけると座り心地を確かめるというよりもただ単に休憩のために腰を おろして一息ついたり、のんびりと色々と見て回っていると、確かに ここは激安家具屋だけあって、キッチン一式が八万円くらいで売って いたりする。一通り周ったところでもう一度食堂に戻り、座間くんと 中野さんが再び何か食べ始めるのにコーヒーを飲みながら付き合い、 この異国ののどかな午後の時間が下ネタを始めとする倫理観を欠いた 会話によって過ぎていく。

仕事が終わった岡くん、ヒロさん、ルリコさんとともにバスで多分ウェ ンブリーだったと思うがそこまで行ってパブに入りビールを飲みなが ら色々と話を聞くと、ヒロさんは中学生から、ルリコさんも大分長い ことイギリスにいてそれでも日本や日本人には愛着があるので日系の 会社に就職したという話で、いくら日本人でも長い間イギリスにいれ ば日本のことにも日本語にも疎くなるのでそれはやはり惜しい気がし て日本人と関わる仕事をしているらしい。それで何でそもそもイギリ スにいるのかという話については聞きそびれたが、岡くんから聞く話 やその他の評判を聞いて想像する範囲では、日本にいて窮屈な部分が イギリスなら取り払われるということかも知れなくて、多分田舎から 東京に出て来るというようなのがもう少し大掛かりになっているとい う話だと思う。東京が日本中の田舎ものが目指す土地だとしたら、ロ ンドンは世界中の田舎ものの目指す土地ということで、実際に街を歩 いているとそういう感じはする。

パブには大抵ビリヤードとダーツがあってパブでやるビリヤードはプー ルというやつらしい。そのプールをグランビー・チームとニュートン・ チームでやって、ニュートンというのは岡くん達が働いている会社の 名前だが、ビールを飲みながらビリヤードをやっているとヒロさんが 酔っ払っている様子なので、日本のサラリーマンならネクタイを鉢巻 にして盛り上がらないといけないとけしかけたら本当にそうしてその 格好でパブのカウンターの上に座ってかかっている音楽に合わせてリ ズムを取っているのを目撃したのはイギリスに来てよかったと思った ことの一つとなった。

その後中華料理屋に晩ご飯を食べに行ったが、そこではヒロさんと座 間くんが店員に向かってカラオケ歌ってくれとか無理な注文をすると いう暴れぶりに加え、中野さんはかたくなに英語で喋るのを拒否して 店員にビール二つ下さいとか思いっきり日本語で言っていて、岡くん いわく賀来千香子似の店員はかなりの困り顔だった。

4/16

岡くんがコイン・ランドリーで洗濯をするついでにカレー2000で昼ご 飯を食べる。カレー2000はそんなに不味くはないと思うが、カレーも ご飯も作りおきで、ご飯がぱさぱさで、インディカ米というのはほと んど食べたことがないのでひょっとしたらそういうものかもしれない が、いまいちいただけない。ナンはその場で焼いてくれるみたいなの で、ナンにしたほうがよかったかも知れない。その後でコイン・ラン ドリーで洗濯物を乾燥機に移し変えるのを待っている間に思い出した が、マイ・ビューティフル・ランドレットという映画があってパキス タン系の青年がコイン・ランドリー屋をやる話だがひょっとして舞台 はこのあたりなんじゃないかと思った。

そんな感じでのんびりした後、パリに行く電車の切符を買いにHISま で行く。ユーロスターは往復で三万円くらいという話だったが、HIS のやつは一泊分のホテル代込みで二万円弱というお手ごろ価格だった。 HISの事務所は結構大きくて日本人の客がいっぱいいて繁盛していて、 東京にいる名古屋人よりもロンドンにいる日本人の方が多いのは確実 であり、これは東京にある味噌煮込みうどん屋とロンドンにある日本 料理屋の数を比べれば明白である。

ちょっと位は観光地にも行きたいのでウェストミンスターに行くこと にする。アイスクリーム屋でアイスクリームを買ったらどうもありが とう、日本万歳とか言われて、ひょっとして日本人が来るたびにあん なことを言っているのかと思うと冷や汗が流れた。

岡くんによるとテムズ川を遊覧する観光船があるということなので乗っ てみることにする。ウェストミンスター・ブリッジからタワー・ブリッ ジまでで、我々を含めて十人に満たない客に対して気のよさそうなお じさんが左右の景色の説明をしてくれるが全く聞き取れないのでビー ルを飲みながら川沿いの建物を眺めているとウォータールーのところ にIBMのビルがあって日本のIBMも隅田川の川べりにあるのでIBMは川 べりにビルを建てるのが好きなのかと思ったり、テート・モダンの立 派な建物があるので、前に来たときにナショナル・ギャラリーもテー ト・ブリテンも行ったのであそこにも行きたいと思ったり、そのテー ト・モダンの前にかかっている後で調べたらミレニアム・ブリッジと いう名前らしいつり橋が面白そうで渡ってみたかったり、タワー・ブ リッジの前に停泊している戦艦がかっこよかったりしているうちにロ ンドン塔の前に来た。

ロンドン塔を見た中野さんは、わードイツみたいと言って大喜びで、 ビッグ・ベンだとかウェストミンスターだとかあんなものは駄目だ、 これこそ素晴らしいと言っていた。そこから晩ご飯を食べるためにも う一度ロンドン中心部までバスで戻ったのだが、その時に乗ったバス にはテレビ・モニターが付いていてバスの二階の様子が映し出された りしていたが、そこで表示されている時計が冬時間のままになってい て、建物に付いているアナログの時計がずれているのはまだ許容でき るとして、どうしてモニターに表示する時計くらい自動で合うように しないのか、やる気あるのかと思った。

ヒロさんが副島さん一家と焼肉を食べたという話を聞いて以来、猛烈 に焼肉が食べたくなっていたので皆に頼んで焼肉屋に連れて行っても らう。トッテンナム・コートロードでビリヤードをしていた座間くん と岡田さんとともにその近所の焼肉屋に行ったが、普通にロンドンで 食べる食べ物とは比べ物にならないくらい美味くて、しかし値段は叙々 苑よりも高かった。

4/17

ロンドンに来るちょっと前にヴァージニア・ウルフの短編集を読んで いてその中に「キュー植物園」というのがあったので行ってみたくなっ たので座間くんに連れて行ってもらう。学校がその近くというリサちゃ んとキュー・ガーデン駅で合流して、駅前のパブで昼ご飯を食べる。 地球の歩き方にはこのパブにカクタス・エールというビールがあるの でぜひ飲んでみようと書いてあるのだが、店の人はそんなもの見たこ とも聞いたこともないという顔をしていた。どういうことだ。

キュー植物園というのは植物園という言葉から連想するものよりも適 当に色んな木を植えてある大雑把な感じで、温室がなかったらただの 公園と代わり映えしないようなものだった。そんなことは気にせずに 売店でコーヒーでも飲もうと座ったらコーヒーを頼んだだけなのに座 間くんがビールを買ってきてくれて、なんて素晴らしい青年だと思い ながらビールを飲んだ。

ビリヤードの大会に出る座間くんと別れてエンジェルにある岡くんが バイトをしていた古美術屋に行く。そこの店主のデビッドさんがサル サにはまっていて近所のパブでやっているサルサ教室みたいなのに皆 で行く話になっていて、ちょっと自分がサルサ教室を受けるのはつら かったのでその教室を見学したり、カウンターでビールを飲んだりし ていた。中南米のビールだと思うがコロナみたいなやつでライムを入 れて飲むのがおいしかった。岡くんも最初はデビッドさんと一緒にサ ルサ教室を受けていたらしいのだが男女で組になって踊るものなので その話を聞いた中野さんから禁止されてその中野さんが来たのでやっ と皆でサルサが出来るとデビッドさんが待ち焦がれていたというほの ぼのとした話を聞く。

その後グランビー荘に帰ってきてからは明日からパリに行くのでフラ ンス語の勉強をする。ボンジュール百回とか。途中で座間くんが帰っ てきて一から百までの数の数え方を教えてもらい、八年ぶりくらいに フランス語をやるのが懐かしい。しかしビールを飲みながらそんなこ とをやっているうちに気が付いたら三時になっていて明日のことが思 いやられる。

4/18

バスでウオータールー駅まで行ってそこからユーロスターに乗るのだ が、そこのエックス線でやる荷物検査に引っかかって鞄の中身を全部 空けられて、係りの人がシャチハタの印鑑を不思議な顔で眺めている のを着替えのパンツとかを全部出されてちょっとした辱めを受けてい る気分になりながら待つ。何で鞄の中から印鑑が出てきたのかは自分 でも驚いたが、どうにかそこを通過してユーロスターに乗り込むと、 売店で何か朝ご飯になるものでもと思って、水とクロワッサンを頼も うとしたら、ユーロスターの売店は英語とフランス語の両方が通じて、 ポンドもユーロも使えるのだが、こっちは英語もフランス語も喋れな いのにあせって両方を織り交ぜて注文したために気が付いたら三本頼 んだはずの水が六本になっていた。どうせ二日酔いなので水をいっぱ い飲むだろうと思ってかまわずにそのまま貰ってきて席に戻り、水を がぶがぶ飲んだり、うとうとしたりして過ごし、同じ車両の前のほう に添乗員付きの日本からの観光旅行のグループがいてその添乗員の人 がお弁当を配ったり、車内放送で今からフランスに入ります、フラン スの時間は何時何分ですみたいなのが流れると、皆に時計を合わせて 下さいと言って回るような甲斐甲斐しい働きぶりで、二日酔いでつら いのと初めてパリに行くのでちょっと緊張して弱っている所なので、 あの人に付いて行きたいと思ったりする。

パリ北駅に着いてユーロスターは禁煙だったのでホームに降りてタバ コを吸ったら思いっきり吐き気が込み上げてきてこれからどうなるこ とかと不安になる。ユーロのお金を下ろそうと駅の中のATMに並んで いると物乞いが列に並んでいる人の前から順番に手を差し出してお金 を要求するが誰一人お金を渡す人はいなくて、でもその人は血色もい いし、本当に物乞いだけで生活しているのだろうかと疑問に思う。今 度は日本人の人が来て、シャンゼリゼにあるルイ・ヴィトンって知っ てますか、そこで買い付けをしたいんだけど一人で買える量が限られ ているので代わりに買ってくれませんか、謝礼を出しますのでという ようなことを言ってくる。

地下鉄でセーヌ川の方まで行くことになって、券売機でカルネという 回数券を買い、早速改札口を通そうとしたら券が入らなくて周りの人 を見ているとそのまま改札を通過して行っている。ひょっとしてパリ の地下鉄はただで乗れるのかと思ったりしながらタイヤのついた電車 が来るのに乗り込むと、ついでにアコーディオンを持った子供とバイ オリンを弾く母親みたいな二人組みが乗って来て車内で演奏を始めた のは、さすが芸術の都パリというか物乞いの都パリというかいずれに してもうるさくて迷惑な話だと思った。パリの地下鉄のドアにはドア ノブみたいなのが付いていて、乗り降りする時にはこれを手で開けて するらしい。そんな地下鉄に乗ってシャトレ駅まで来て外に出ると目 の前にはセーヌ川、その先にはエッフェル塔が見えて、やっとパリに 来たというのが実感できる。ロンドンとは違って景色が広々としてい て、地下鉄はただで乗れるしパリは素晴らしいところだと思いながら 川沿いを歩いてルーブルのほうに行く。昼ご飯を食べる場所を探し、 見知らぬ土地なので緊張しながら一軒の店に入る。

パリでご飯が食べられる所には多分四種類あって、レストランとビス トロとブラッセリーとカフェで、レストランはフランス料理と言った ときに想像する通りのものが出てくるところで、ビストロは定食屋、 ブラッセリーは居酒屋、カフェは喫茶店という感じだろうか。そのう ちのブラッセリーという種類の店に入ったのだが、別に居酒屋という 感じではなくて、そもそもヨーロッパには酒を飲みながらつまみを沢 山食べるという習慣はないみたいで、イギリスのパブでも昼ご飯はあ るけれど夜は食べ物は出ないし、それでこのブラッセリーで昼ご飯を 食べるというのはパブ・ランチみたいなものかと思いながら店に入る。 店員はしゃきっとした制服を着てやる気にあふれていて、東京やロン ドンのバイトの店員みたいのとは訳が違い、お勧めは何かと聞けば一 番高いのを指差したりする。出てきたパンを一口食べた瞬間にやっぱ りロンドンの食べ物は駄目だ、さすがパリは美味いという思いを強く し、二日酔いで胃の調子が悪いのが悔やまれてならない。岡くんは牛 肉の煮込みみたいなのを食べていて、中野さんはその肉にフォークを 突き刺しながら岡くんに向かってそこ切ってとか言っているのが面白 かった。

ご飯も食べて落ち着いたところでルーブルに行く。中庭に入って周り を見渡すとそれは大きな建物で、岡くんは俺が戦闘機に乗っていたら 絶対ここに突っ込んでやるとか訳の解らないことを言っていたが、と くにかくフランスという国が過去から現在にいたるまでどれだけ豊か なのかが実感でき、それから、こんなものを作っていてその片方では パンがないというようなことになればそれは革命くらい起きるだろう という気もした。

ルーブルを見物するのは時間がかかるので明日もう一度見に来ること にして中には入らずにセーヌ川のほうへ行く。川沿いに並ぶ露店の古 本屋などを眺めながら歩いて行と天気もよくて、歩いている女の人は 皆美人で、パリはいい所だねえ、それに比べてロンドンはと言って悪 態をつく岡くんをやり過ごしながら橋を渡ってシテ島に入ってノート ルダムを見物する。

そこから南側へ橋を渡ってサン・ミッシェル通りを下っていく。パリ の道はどこも新緑の街路樹が綺麗で、歩道は広くとても歩きやすい。 近くにソルボンヌがあるらしくて、そのためかどうかは解らないが道 には本屋が軒を連ねているなかを歩いていると、岡くんが携帯電話を 盗まれたと言い出してさっきのあいつだ、絶対ぶっ殺すとか穏やかで ない状態になるが、リュクサンブール公園に入って椅子に座ると落ち 着きを取り戻して鞄の中から電話を見つけ出した。イギリスの携帯電 話はニュース・エージェントというコンビニのようなところでスクラッ チカードを買って、そのカードに書いてある番号を打ち込むことによっ て電話がかけられるようになり、そのカードでかけられる範囲が過ぎ ても着信は出来ることになっているらしい。そしてその電話はパリに 持ってきてもそのまま使えるらしくて便利なものだと思うが、岡くん はそもそも携帯電話の使い方をちゃんと把握していないらしくて、か かってきた電話に折り返しでかけるのにも一苦労していた。

公園にはベンチや椅子が沢山並べてあって、その椅子に座っている各々 が本を読んだり、話をしたりしている。大変優雅でうらやましいのだ が、平日の昼間にそんなことをしているのは恐らくほとんどが学生で、 こっちは会社の休みを取って来ているのでそれほどゆっくりしている わけにはいかなくて、しばらく休憩して公園を後にする。そこからモ ンパルナス大通りを通って今日の目的地であるモンパルナス墓地に到 着し、入り口を入るとすぐに有名人の墓の場所の案内図がある。入り 口のすぐ右側にあるサルトルとボーヴォワールの墓を見て、次に入り 口から左側のほうをデュラスの墓を探しながら歩き、そして見つけた その墓石には「マルグリット・デュラス 1914 - 1996」とだけ書いて あって本名も書いてないし墓碑銘もない。奥のほうには花が生けてあっ て真中には丸く石が積まれていて、手前にはぽつぽつと小石が乗って いる。手前の縁のところには「MD」と彫られていて、日本の墓とは違っ てちょうど人が一人分埋まっているのが明らかな形をしている墓を眺 めながら、来る前に読んでいたヤン・アンドレアの本で描かれている デュラスの姿、あるいはこの墓石の前に立っているヤン・アンドレア の姿などを想像する。

後はパリ・コミューン記念碑というのを見てみようと思って歩いてい るとおばさんが話し掛けてきて、私は大阪に三回行ったことがある、 誰の墓を探しているんだ、というようなことを英語で話して、パリ・ コミューンと言ったらなぜだか私は英語を話すが韓国人ではないとい う答えが返ってきて、パリ・コミューン記念碑というのを英語かフラ ンス語で上手く伝える方法はないかと考えているうちに岡くんが彼は デュラスが好きなんですと言って、そのおばさんはデュラスというの はベトナムで生まれて、あと何だったっけという所で頭を抱える仕草 をしたのが非常にフランス人っぽかったので、そのおばさんと別れた あとで皆でその真似をしたりした。

お墓が閉まる鐘が鳴るのを聞きながらモンパルナス墓地を後にして地 下鉄に乗って北駅まで戻る。今度は改札がちゃんと機能していてカル ネを使って入った。降りる所でドアを自分で開けてみたかったので一 番前に立って待ち構えていたら隣のおっさんに開けられてしまって悔 しい思いをした。北駅の近くにあるホテルは格安の割には普通に快適 なホテルで皆ではしゃぎながらしばらく休憩をして駅前で晩ご飯を食 べるところを探しに行く。そこで入ったビストロは英語のメニューも あって、そういえば昼ご飯を食べた所もメニューに英語が書いてあっ たし、店員は英語を話したし、フランス人が英語を喋るのを嫌がると いうのは今回は経験しなかった。

特別美味しい訳ではないがそれなりに食べられるご飯、特にビストロ・ テリーヌとメニュー書いてあった日本のフランス料理屋で食べるよう な凝ったのではなくてただ肉を固めただけのような素朴なテリーヌは 味わい深く、満足して店を出た後にホテルでワインを飲みながら何か 軽く食べようと売店を探して駅の中に入ると、警官がホームレスに向 かって犬をけしかけていたり、ちょっとがらの悪そうな人たちが歩い ていたりと全般的に不穏な空気が流れているので諦めてホテルに戻ろ うとしていたらホテルの前に酒屋があったのでそこでワインとかハム とかチーズを買って部屋に戻って少し飲み始めて、テレビではエック ス線で荷物検査をする機械の中に通した賞品が写る映像を見てその賞 品を当てたらそれがもらえると言うようなゲームをやっているのを眺 めていたが、風呂に入っている間に皆が寝てしまったのでワインを二、 三杯だけ飲んで寝ることにする。

4/19

昨日は地下鉄だったが多少はパリにも慣れたので街並みを見ながら行 けるバスに乗ることにした。ロンドンのバスは二階建てなのが有名だ がパリのバスには後ろに連結した車両がある二両編成になっているの があって、ただそんなに数は多くないみたいなので今回乗ったのは普 通の一両編成のだった。パリの建物は皆それなりに装飾されていてロ ンドンの馬鹿の一つ覚えのようにレンガが積み上がっている建物とは 違い、バスから眺める景色もパリという街を観光客に印象付けるのに 足るものがる。

北駅とルーブルを結ぶバスを降りてルーブルの中に入る。ロンドンの 美術館とは違ってお金を払う必要がるので自動券売機に並び券を買い、 しかし特に改札のようなところはないまま中に入っていけるので買わ なくてもよかったのではないかと言う気がしてくる。フランス彫刻と イタリア・ルネッサンスのコーナーを見たが、どちらも執拗なまでの 服やマントの襞にこだわっているのが印象に残った。あとダ・ビンチ の絵は全部やたらと色が暗くて顔料から何か違う種類のものを使って いるような感じだと岡くんは言っていた。

昼ご飯は座間くんに教えてもらったルーブルの近くにあるうなぎ屋に 行った。フランス人の店員に日本語で応対されるのが不思議な感じで、 普通にフランス語で対応されれば食べ終わって店を出るときにメルシー と言って挨拶すると思うが、ありがとうございましたと言われてこっ ちもありがとうございましたと答えてしまうのに違和感があって、考 えてみれば本当はごちそうさまと言って挨拶するのが普通だというこ とを思い出す。

そこからチュイルリー公園に入ってシャンゼリゼ通りを凱旋門まで歩 く。シャンゼリゼ通りは公園の中の土の道、そしてコンコルド広場を 過ぎると舗装された道になるが道の両脇は公園のままの道、そして最 後は両側に店が並ぶ道になって凱旋門にたどり着く。この道の眺めは 入場料を取ってもいい位によく作られていて、この通りを始めとして パリの街並みはロンドンや東京が生活をする都合で順番に作られたも のであるのに対して、よそから来た人に見せるために入念に整えられ ている印象を受ける。凱旋門は屋上に登れるようになっていて、入場 料を払って中に入るとエレベータ位はあると思ったが階段しかなくて 息を切らしながら登りきると、見渡す限り街が続いていてさすが大都 会という感じがした。

その後はシャンゼリゼ通りを戻ってヴァージン・メガストアに入って みる。ビデオやCDを見て、地下の本屋に行くと岡くんがモンクの本が 買いたいので探してくれと言うので探していると岡くんの姿が見えな くなって探したら漫画のコーナーで釘付けになっていて、すごいよ、 バスタードの最新刊があるよと興奮していた。漫画を見てみたら吹き 出しがフランス語に翻訳されていて効果音みたいなのは日本語のまま になっていた。岡くんの話だとこの効果音も翻訳してあるやつとか、 絵を全部左右反転させて左から読むようになっているやつもあって、 「寄生獣」はそうなっているので「ミギー」が「レフティー」と翻訳 されているらしい。

北駅にバスで戻って中野さんがマクドナルドが食べたいと言うので自 分で注文してみてと岡くんが言うと、ヴァージンで目撃したポケモン のおもちゃをねだる子供の真似をして、シルブプレ、シルブプレ、シ ルブプレと懇願していた。それでマクドナルドで名前は忘れたがフラ ンスでしかなさそうなハンバーガーを買い、ユーロスターに乗り込ん でロンドンに戻る。イギリスからフランスに入る時は入国審査はない のだがイギリスに戻る時には入国審査があって、乗ったのが最終の電 車だったのでロンドンの駅ではなくて途中で入国審査の係りの人が来 てあせりながらもやり過ごし、売店でビールを買って昨日の夜に買っ たハムとチーズを食べながらロンドンまで行く。

4/20

再びアエロフロートに乗り込み帰路に着く。ロンドンからモスクワに 行く途中に出たチキンのクリームソースは非常に美味しかったが、ビー ルはやっぱり不味かった。


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