吉田健一が本格的に活動を始めたのは戦後になってからで、その当時の肩書きは英文学者で文芸評論家でというのもあったが、しかし肩書きに関しては本人は頑なに文士で通していて、それはこういう所にも見受けられる。

 考えて見ると、何かと英語のことに就て書かされるようになってから随分になるが、こっちは別に英語というものと縁がない暮しをしているのだから、妙なものである。こっちの商売は言葉であって、英語も言葉であることに掛けて他の国語と変らない以上、その限りでは英語とも付き合っていない訳ではない。併し例えば、英語を読んだり、話したりしていて、それが英語であることが忘れられないようでは、まだこれは言葉ではないので、英語を英語だと思って使ったり、フランス語がいつまでもフランス語だったりしていたのでは英語の先生とか、大学の仏文学科の教授とか、そういう仕事をしている人間にとってはそれでいいかも知れないが、文士はそんな風に外国語を知っていても、役に立たない。

 肩書きだけではなくて言葉遣いの面でも頑なな部分が見られて例えばここにも出て来る「こっちの商売は」というようにこっちというのを一人称代名詞として使っていたり、他にも漢字にするか平仮名に開くかの区別や送り仮名の付け方などもかなり厳密に決められていて、吉田健一の本を何冊か読んでいると読んでいる方でもそのことを意識するようになる。それでこっちという代名詞はその中でもかなり特徴的なもので、これはこっちを一人称に代入することによってその使用を制限し、それによって文脈を一人称による拘束から解放する効果を上げていると見られる。しかしそうすると主格を取る言葉がなくなるために文章が不安定になることを免れず、それを回避するために、必要な場合には我々というのを主格に持って来ている。この我々というのは自分一人を現す場合から人間の全部を現す場合まで非常に幅の広い範囲を持っているので文脈に制限が加わることも少ない上に主格を取ることによって文章に安定を与えることが出来る。

 吉田健一においてはあくまでも使うものとしての言葉があるので、そういう風に言葉に対する意識の仕方も徹底している。言語学に対する拒否感もそのような所から来ていると見ることが出来て、実際に読んだり書いたり話したりするものであるよりも研究の対象として言葉を扱う態度に自分とは相容れないものがあるのを感じていたのだと思う。英語に関する日本人の態度にしてもそれは勉強するものだったり研究するものだったり試験に出るものだったりして実際に使うものとして英語に接するというふうには少なくとも表面上はなっていないことに対する批判がこの本の前半に納められている文章の主な題材になっている。

 外交官の家に育った吉田健一は英語をほとんど母国語として使用する環境の中で育っていて、それが英語をただの言葉として受けとめることを可能にしていると見ることももちろん出来るのだが、しかしそれだけではなくて、文学に接することによって得た言葉に対する感覚に即して英語でもフランス語でも、あるいは日本語でもを言葉として捉えることが出来たのだと見るべきだと思う。言葉が言葉になった後ではそれは何語でもなくて言葉なのであり、その言葉が英語ならば英国、そして英国人というものに根を下ろしている。

 この本の後半はそういう英国と英国人についての文章で占められている。これらの文章の魅力は吉田健一の英国に対する親しさということに尽きて、それは『金沢』が金沢に対する作者の親しさ基づいて書かれたものであるのと同じである。その親しさに触れれば英国にも金沢にも行ったことがない読者であっても親しみを覚えずにはいられない。


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