ヨーロッパの文明、また文学そしてそこで生きている人間というのは吉田健一が繰り返し大きな題材として扱ったもので、その頂点の一つを「ヨオロッパの世紀末」に見ることが出来るのだが、「ヨオロッパの人間」はそれと対をなすものであり、またあくまでも人間を描くことで社会や文明を捉えようとする吉田健一の姿勢を題名からも端的に窺うことが出来るのがこの本である。ヨーロッパが我々にとっていくらでも近づいて見るに足るものであることを示すのにこの本はこのような文章で始まる。

 我々はヨオロッパというものを知っている積りでいて、それでバングラデシュというような名前が出て来ればその方に注意が逸れて行く。併し欧米という言葉が示す通り黒船の昔から我々はヨオロッパ人とアメリカ人の区別も付かずにいるので白人という重宝な言葉もあり、それで少しでも話が面倒になれば自分は東洋の有色人種であるという確かに間違いのない一つの事実に向かって退却する。

 こうしてヨーロッパの文明とそこに生きる人間達を描いて行く訳であるが、それで文明というのはそこに生きる人間の状態のことであって、世界の歴史の中でのヨーロッパの文明は次のような特徴を持っているとされる。

 ヨオロッパの人間に就て考えていて度々改めて気付くことになるのは今までにあった幾つかの文明の中でヨオロッパのが文明と認められるようになってから最も日が浅いということである。

 そしてまたヨーロッパの文明が完成を見るのは十八世紀のことで、ルネッサンスというのは野蛮を脱して文明へと至る目覚めの時代であるとしている。そのルネッサンスがヨオロッパの田舎であった十六世紀の英国においては人間の生活の上で地道に受けとめられたことを指摘して、このエリザベス一世の時代を語って行く。それはエリザベス一世について語ることでもあって、君主というのも人間であるという当たり前のことを強く感じさせる。エリザベスはその廷臣であったエセックスを愛していたのだけれど、エセックスはそれほど有能ではなくて、そのために窮地に追い込まれることになっても、それが政治の上で必要でないことのためにエリザベスはエセックスを救わなかったということを説明して、それに続いてこういう文章がある。

 併しエリザベスがそういう結果になることを喜んでいたとは思えない。そしてここでエリザベスも人間であったとか女だったとかいうようなことを言うのも愚劣である。そういう解り切ったことを繰り返すならばエリザベスは人間であって女だったからエリザベス一世という女王でもあり得たので同じ一人の人間が望み、又計画してやることがその望みに反しもしているというのは少しも珍しいことではない。

 人間の生活をどのようにするかというのが政治であって、政治を行うのも人間であれば、エリザベスは人間であって女であるということである。それで「十八世紀の女達」と題された文章は、「ホレス・ワルポオル」や「ヴォルテエル」と題された文章と並んで、ヨーロッパの文明が完成を見た時代の、文明という人間が人間として生きられる時代に生きた人間を描いています。この時代に続く十九世紀のヨーロッパというのは逆に人間らしくない人間の時代であるということで、例えば、
 十八世紀には道徳だったものが十九世紀になって道徳という観念に変わった。

 そして

 観念を人間に対して優位に置くということは文明を野蛮に戻す有力な条件の一つになるとともにそれは一般に能率を上げるということをするのにもなくてはならないもので、こうして能率が上がることで観念は更にそれだけ優位に置かれて人間が中心でなければならない文明は遠ざかる。

 と書かれている。こういう十九世紀を批判して、ボードレールなどの世紀末文学をそれに対する人間の復活ととらえる文学観が「ヨオロッパの世紀末」という本で示されている。

 話を『ヨオロッパの人間』に戻すと、この本ではそれだけに十八世紀の人間が魅力的に描かれることになって、その文章も名文であって読むものに一層人間を感じさせるものになっている。この名文というのも悪文と比べてとかいうような文章の種類の問題ではなくて、そういう文章を読んで精神を揺さぶられるということにもなるので、すぐには感想を書くという考えは浮かばない。そんな文章を最後に挙げるとすれば、シャトレ夫人という数学者、また哲学者で、そしてヴォルテールの愛人であった人について書いたこのような文章がある。

 或る年の冬シャトレ夫人がヴォルテエルとパリからシレイに帰って来る途中、夜中に馬車の後ろの車軸が折れて二人は道にほうり出された。それで助けが来るまで二人が道端に敷物を積ませてその上で震えているとそれはよく晴れた晩で地平線から地平線まで空は星図通りに輝く星に満たされていた。それは二人に寒さを忘れさせるのに足りてやがて二人はその星の性質、軌道、又将来に就ての考察に夢中になり、その時の幸福を妨げるものは天体望遠鏡がないことだけだった。そこには星空と同じく何か冴えたものがあり、これが十八世紀の優雅と哀愁の基調をなしていた。

<目次> <『乞食王子』>