今までの『金沢』から『ヨオロッパの人間』までは一年位前に書いたのを書き直したものなのであるが、その書き直しをやっている内にいい加減飽きてきたという感じを禁じ得ない。そもそもこの文芸文庫に今収録されている十冊は大体六十冊くらいある吉田健一の本の内で一番面白い十冊を集めたという訳ではないのに決まっていて、面白いかそうでないかはそれぞれの読者によって違う。とにかくそれがどういう基準で選ばれたのかは知らないが、いずれにしても感想を書くのに適している、つまり読むと何かその本について書きたくなるような本というのは限られていて、またそれが必ずしも名作であるからとか読んで面白かったからとかいう理由だけではなしに、文句を付けることも含めて何かを書きたくさせる種類の本というのがある。そのような何か一言でも言いたくなるような本とは違う種類の本もあるので、この「乞食王子」にしてもこれを読んで、もちろん面白く読めるのだが、それで本を閉じた後に何か言いたいことがあるかというとそんなことはない。それなら止めればいいようなものであるが、一度やり始めたからには曲がりなりにも最後までやってしまいたいと思うのは性格が中途半端に几帳面であるためなのかも知れない。

 乞食であるのと王子であるのを兼ね備えた身分にいるものが一番いい気でいられる身分なのではないかということで、書くときにそのような気分になってやってみようというのがこの本で、新聞に連載された短い断章を集めて出来ている。

 それ以外に特に書くことはないのだが、とにかく実地に見てもらうのがいいと思われるので、ここでは二つほど引用することにすることにして、まずは「水増し文化」というのである。

 御多忙中、恐縮ながら、というのが、大概の原稿の註文に見られる書き出しの文句である。忙しいことを知っているなら、少しは遠慮してくれたらよさそうなものであるが、これには別の意味があるとも考えられるので、それはこういうことになる。文士というのは文学の仕事をしている人間と解釈するのが常識で、それに従えば、銘々が仕事をする時間の大部分をその本職に割いている筈であり、その文学の仕事は人によって違っている。文学の原則は自分が書きたいことを書くこと、そしてその前には、自分が何を書きたいのかを確かめることであるから、書くことが人によって違うのは当たり前であるが、要するに、原稿を註文して来る方から言えば、そういう、文士が本気でやる仕事には用がないのである。

 この場合、小説家だけは別かも知れなくて、そしてこれは小説家にとって余り名誉なことではない。つまり、それは小説が他のものと比べて読み易い、かどうかは解らないが、今の所はまだ読み易いことになっているからで、このことが凡てを説明する。今日、文学は隆盛であると言われて、確かに文士の中のあるものは自家用車を持つ位にまではなった。併し要求されているのは文学ではない。文学の観念だけは流行しているから、この名称で読者を釣る一方、実際に文士が書くことを頼まれるのは、文士が書いたものだから文学だという程度にしか文学と縁がない、或は、なくても少しも構わない、手っ取り早く言えば、読み易いものなのである。そしてこの読み易いというのが高校生、つまり、理解力が昔の中学生にも劣る人間を目標に置いてであることも、大概の註文に付け加えられている。

 大人が昔の中学生以下の人間を相手に書くことを強制されて、それで言論の自由も何もあったものではない。従って、文学などというものがそこから生まれて来る見込みも余りないが、今日もし文化というものがあるならば、それは丁度そういう形をしているのである。文学は何か高級なものだという観念が誰にでも植え付けられて、それで我も我もと文学(或は、文化)を求めるが、それには昔の中学生以下の頭を働かせる用意しかないから、その文学や文化を提供する側も心得ていて、そう言った程度のものを作るように制作者に註文を付ける。それ故に、文学(或は、文化)は繁盛している風に見えて、実際に氾濫しているのは擬いものばかりである。

 週間雑誌、文士の講演会、新書版、前衛書道、オブジェ生花など、皆その現れではないだろうか。文学とか文化とか、具体的な決め手がないものの名称を使って子供の口にも合う安ものを売ることを誰かが考え付いた後は、そのボロ儲けの口を塞げと言ったところで、塞げるものではない。堤防は既に切れた。そしてその後は、ただ水が引くのを待つ他ない。

 三回も出て来る昔の中学生以下という言い方が馬鹿を基準にして文学とか文化とか言っている実状に対する嫌悪の強さを感じさせて、またここでは批判が慨嘆と風刺の色を合わせ持って、そして水が引くのを待つ他ないと落ちつきを保っている。それで水についての「汎水論」という一篇を紹介して終わりにする。

 この頃は雨がよく降る。夜が明けた時には晴れていても、間もなく空に雲が拡がり、朝飯を食べている頃にはもう降り出している。全くやり切れないというのではなくて、その反対なのである。雨や、曇った空模様には何か気分を落ち着かせるものがあって、例えば酒を飲むのでも、日光が一面に差していて、日曜ならばサラリイマンが家族連れで遠足に出掛けるような日よりも、ものの色が沈んで見えて、今にも雨になりそうな時の方が酒の味に身を任せることが出来る。それ故にこういう時は、朝からでも飲める。

 生物は凡て海の中から出て来たもので、それで人間の血液の中にも塩分が残り、塩なしではいられないというのは本当なのかも知れない。塩のことは解らないが、水は確かに人間を喜ばせるもののようで曇った天気が懐かしく感じられるのも、空中に水分が多いのと関係があるのではないかと思われる。大都会の真中を大概は河が流れているのは、初めは実際の必要から人間が水がある近所に集まって来たのだろうが、今日では、都会での生活に幅と奥行きを与えるのにこれ以上役立っているものはない。

 それ故に河があれば、天気の日でも落ち付くし、酒もゆっくり飲める。酒を飲まなくてもよくて、河でいつも思い出すのはロンドンのチェルシイの辺りを流れているテエムス河である。八時になっても、九時になっても明るい英国の夏の夕方、こっち側の岸に立って向こう岸を眺めると、そこもやはり並木の緑に蔽われていて、木の葉が夕日を受けて光るのが水の反射と一緒になり、こっち側の並木の下にも、木の枝の間から夕日が洩れて来た。その辺は大体がひっそりした町で、古い赤煉瓦の家が多い中に、ロゼッティだか誰だったかのものだった家に今は住んでいる友達の所に行く途中だった。

 京都には加茂川があり、博多には中州があるが、東京が隅田川からだんだん西へ発展して行ったのは、その西部にいるものにとっては残念である。隅田川の景色を褒めて、江戸っ子の文学者に叱られたことがあるが、昔は水が澄んでいて、白魚が東京の名物の一つに数えられ、夏になると子供は皆泳ぎに隅田川に行ったのが、今では両岸に工場が出来てその汚水が凡て流し込まれ、潮の満ち干がなければどぶ水も同然なのだということだった。

 そうかも知れないが、柳橋辺りで河っ縁の座敷で飲んでいると、夜になれば水の色は解らないし、隅田川はやはり美しい。同じく潮の満ち干があって衛生的にどうということはない東京の掘割は、都当局の手で片っ端から埋め立てられて行く。併し河からは遠くて掘割はなくなっても、まだ雨が残っているのは有難い。宮殿の中でも、橋の下でも、雨の音を聞くのはいいものである。


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