回想すること、つまり思い出すということは共有が可能であるものとして対象を表現する働きがあるように思われて、それは思い出すことによる作用が何らかの精神の普遍的な働きに繋がっているからだと考えられる。例えば西原理恵子が繰り返し描く高知の漁村の風景というのは西原理恵子にとって懐かしいものであるだけでなく、実際にはその風景を知らない読者にとってもまた懐かしい風景としてある。それは吉田健一の「東京の昔」の東京がその読者にとっても懐かしいものであるのと同じことで、思い出されているものが取る形から我々が受け取る印象はある純一なものであり、共通の理解に我々を導くそれらのものは時間的な隔たりによって保証された限りない近接をそれ自身と我々の間にもたらす。過去に属する事柄であることが保証するのはそれが現在へと繋がることの確定であり、またそれはその姿が確定されたことを意味する。

 この本は吉田健一の生前最後のもので、そのことを意識しなくても、縁側に差し込む黄昏の光のような暖かさが感じられて、そして人生の晩年を黄昏に例えるのは、それに続く夜の街の明るさを待ちこがれてではなくて、過ごしてきた一日の充実のためである。吉田健一の生涯の充実ということで、それは年譜から説明するよりも吉田健一の本を読めば解るはずである。作家としての仕事や、過ごしてきた生活によって、作家としてであると同時に人間としての成熟を見ないわけにはいかない文章がここにはあって、文体の成熟と思考の成熟とがあるのは言葉がどう働くかを考えれば、その二つは同じことである。それでこの本の最後には「その成熟した人間を老人とも呼んで老人が今ここに一人いる。」という文章があり、これは自らを成熟した人間だとする自信であると同時に今ここにいる人間であることの確信でもあって、ともに過ごしてきた時間、生きてきた時代、その後ろにある日本でもヨーロッパでもの歴史や、何にもまして文学というものとともにあったことを感じさせる。

 この本がどういう本かということをまだ言ってなかったので少し説明すると、文字どおり思い出すままに書かれた吉田健一がともに生きた時間と場所をめぐってのエッセイであり、そして読むものや書くものとして間違いなく今ここにある文学でもある。それで人間が過ごしてきた時間ということを考えれば、子供のころや自分が若かったころの記憶が今の自分に働きかけない訳はなくて、この本には子供ということについて書かれた文章がたくさんあり、例えば子供が本を読むときのその精神の働きについて書いた後に続いてこんな文章がある。

 子供にそれだけのことが解るかどうかということは問題にならない。ただ一つの世界に遊ぶのを楽しむというのは解るということと少しも矛盾するものではなくて解れば楽しむことになり、既に楽しんだならばそこから解るということまでは一歩である。その点からすれば本を読む癖が子供の時から付くのが精神の成長の上では自然のことであるとともにそれが望むべきことでもあるので解るとか解らないとかの区別を越えて楽しむ経験をなるべく広くして置けば解る為の無駄がそれだけ省ける。

 この楽しむということが文学に対してでも人生に対してでも吉田健一が絶えず取ってきた姿勢であって、それでも吉田健一が生きてきた時代がはたして楽しく生きられるような時代であったかということを考えるときに、これもまた年譜を参考にするまでもなくて、生きるのを楽しむためにはそれだけの努力が必要であったことを疑うことは出来ない。それは文学についても同じであって、それを楽しむためにであるよりも楽しむのに必要な強さとそれを兼ね備えた柔軟がそれに必要とされるのは明らかである。つまりそういう時代にその時代とともにあった一人の成熟した人間である老人の綴る言葉であって、それで縁側で黄昏のまどろみの中を一人の寡黙な老人と過ごしている時間を思わせる。


<目次> <『本当のような話』>