頼まれたら書くのが文士じゃないですかと冗談混じりで言っていたらしい吉田健一が例えば吉田茂のことを書くように頼まれたと思われる原稿で、これは自分から望んで書いているのではないと言わんばかりの冗談混じりの態度を見せることがあって、この本には入っていないけれど、トニー谷の吉田茂の物真似が面白かったというようなことを書いたりする。しかしその態度が出版社が求める文章と自分の書きたい文章の間の齟齬を吸収する役目を果たしたとも見られるので、その結果として残っている文章は十分に読める。

 例えば「恐しい時代」とうエッセイは、たぶん水爆とか現代の恐怖とかを書いて欲しいと言われて書いたものだと思うのだけど、そこにはその帰結として人類の危機みたいなことを扱って欲しいという出版社側の魂胆が見えて、そういうことに対して吉田健一はちゃかすようなことを書く。

 放射能の雨ほど恐いものがあるだろうか。前述の田舎の旅行は恐い思いばかりして来て、旅館に着いた晩の夕刊に、日本に降った雨に放射能があることが確認された記事が出ていて、そしてその時、外では雨が降っていた。その雨に放射能があったらどうすればいいか。大きな旅館で、建物と建物が屋根付きの廊下で繋いであり、風呂場に行くのにはその廊下を通らなければならなかった。そうすると、雨が廊下の軒から吹き込んで来て、降り掛かるのである。あの時、浴衣がその場で燃え上がらなかったのは、あれはカウントが少なかったのだろうか。放射能がない、いい方の雨だったのだろうか。

 この一篇は簡単に言えばマスコミ批判というのを真面目にではなくて一種の風刺としてというのはつまり笑いものにすることによって行っている。恐らく当時、新聞とかが水爆というのは恐ろしいものなのだとやっきになって書き立てていたのだと思われて、我々は今でも新聞が何かが起こるとそのことばかりをやって騒いでいるのを知っている。それに対して冷静を失っていないものにはその馬鹿騒ぎが耳に触るので、しかし実際にそのことについて書くのを求められて、書いた結果が冷静を反映するとは限らない危険がある。騒ぎに対して冷静でいるものがその騒ぎの中に入っていっても冷静を失わずにいるとは限らない。そこで吉田健一は笑うのであり、それも大声でであって、しかも必要以上に笑う。これは一種の方法で、もちろん失敗すれば騒ぎに踊るものと同断の状態に陥るのであっても吉田健一はそこで笑っていることに成功している。

 マスコミが人を騒ぎに巻き込むのに意見を求めるという方法があって、その中に知識人へのアンケートがあり、吉田健一はそれは思想調査であってつまり最初から答えなければならないことが決まっているということを指摘する。

 例えば、松川事件に対しては全被告が無罪で、吉田内閣当時ならば、吉田内閣は一刻も早く退陣すべきであり、再軍備には反対、教育二法案にはもっと反対、と誰だってそういう返事をすることになって、勿論、それと同じ返事をしなければならない。

 もちろん現在でもここに出て来る固有名詞を変えて当てはめることの出来る事柄はいくらでもあって、意見が分かれている問題の正解はテレビとか新聞とかが決める。しかし正解が決まっているにも関わらず意見を求めるのは騒ぎを大きくして冷静に考える余地をなくすのが目的と考えられて、騒ぎの中で冷静を失って正常に働かなくなった頭を抱えた人達が問題の正解とそれを裏付ける意見を求めて新聞を買ったりテレビを見たりする。

 この本で他には大岡昇平、横光利一、中村光夫、福田恆存などについて書いたものが面白くて、酒を飲んで議論をしたという話がたくさん出てくる。戦前に文学に関わっていた人達の回想の形を取っているものが多くて、まだ文学がマスコミと関わりを持っていなかった時代で、そこでは同じ騒動とか議論とかいってもやることが違う。

 相当に荒っぽい酒でもあって、その頃、中原中也がビイル瓶で中村君の頭を殴ったという事件もあり、中原さんにはまだあったことがなかったが、その話を聞いてから暫くして、「はせ川」という小料理屋に客が鮨詰めになっている中で飲んでいると、中原さんが入ってきて紹介されて、狭い卓子を隔てて差し向かいになり、廻りにビイルの空き瓶がごろごろしているし、中原さんに何を言われても、空き瓶にばかり気を取られていた。


<目次> <『英語と英国と英国人』 >