・矢崎茂ホームページ・

リンクダイアリー

1999/04/29

事の発端は池山さんと酒を飲みつつなどしていたときに、また今日もデカルトと変量、近代化のすばらしさについて語っているとムージルや吉田健一にはそういうものなんかなかったことになっているようないないような、微妙なことをおっしゃいました。それが小骨のようにひっかかり、さらに水曜会さんのほうでやられている練馬文学が難航しており、企画会議にも力が入らずに、全体的にくすぶっている、という事でした。そこで四年まえはたいしたものもなかったインターネットというものを利用し、最近ではOL、女子高生の交際などにも利用されている(これをネットラブと申し上げます)と言い伝えられているインターネットというものを活用させていただき、水曜会さん、練馬文学さんへの記事に対する日々の糧としたいと思い始めましたのが、丁度五分前のことでございます。
 つまり手前どもなんというのがくすぶっていると言っていいのかどうかを再検討する必要もあろう、もともと手前どものようなサラリーマンがいちびった事もさせてはいただけないようなシステムにはなっておりますし、なれてシャインズ、ですからわたくし個人としましてはトップダントツという考えはございませんで、ローテックかつ思い出話で、最新ではなくともかまわないから、少しはこりこりと歯ごたえのようなものが噛み締められて、人様のかすがいや明日の糧になるようなものをと考えました。
そばというものは触感というものに重きを置くそうでございますが、触感で言えばナタデココと、言おうと思えば言えるのではないか。
四年前にインターネットをのぞきましたときには「ゴミタメ」「便所の落書き」といった評とともに塵芥といった様相を呈していましたが、今は違うのではと。
 さらに矢崎とりわけ最新だからいらっしゃいという腕のみせどころがあるわけではなく、かといって人望があり毎夜掲示板などに常連さんが書き込みをしたり泣き笑いが在るわけでもない。
つまり感想もお代もいただきませんがあなたがたのかすがいになりたい、というのが本当の所なのでしょうか。
と、こうやって書いている間はまだサイトができておりません。一体いつになったらできあがるのでしょうか。私にも皆目検討のほうはつきかねるのでございます。
1999/04/30



 とりあえず昨日今日で現状のネタ逢わせと、スライ関係のサイトを洗ってみてございました。ごしごし。思うところは四年前とスライサイトは変化の兆しをあまりみせていないということで、これは手前などの足りない脳で翻訳など向こう三年或いは五カ年計画くらいでやらせていただいても、やらせていただける余地は、まあうでもありますので十分というほどではないにして四畳半程度は空いていると思われるわけでございます。つまり矢崎プロジェクトとして一つ、でございましょう。
 グラハムがまだ活動していて、さらにかつてプリンスと呼ばれた男がバックアップしているとは思ってもおりませんで、グラハムはプリンスとともに生きている感触がございました。つまりは二千年ファンク構想というのがどこかにあるのではないかと、私勘ぐりをなさったりもいたし候。

1999/05/01

コンセプトができあがると欲がもりもり沸いてくることがございまして、速攻で同一パターンでゲーム、数学、サッカリン、などと領域を押し広げてみようかという誘惑にかられ、負けるでもなくそのまんま意向に添うようにネタを拡張いたしました。はたして日記を書くということなども思いつき、日記nなんていうものは小生小馬鹿にしていた所多分に在りで、どうしようか迷ったのですが、これも自分のためと思い領域を押し広げることに大多数で賛同いたしました。

1999/05/02


ネタをおしひろげる、と申し上げましたが、つまり練馬文学の基本構想としてオープンソースというものがございました。つまりこれはあのオープンソースの事ですが、難点として、これはあくまで私個人が外から見て思うことですが「オタクっぽい」というのは障壁になってゆきますしまたつまりこれは何かと言うと「やはり腕力」あるいは「やはり優しさが強さ」といった二極へと話は別れていってしまいマウス。ようは一方では「力のある有力な人がいちびったことをやる」ような雰囲気を感じてしまいますし、一方では「優しい以外にとりえをもったらのけものにされる」環境というのがございます。そうしますとおのずとオープンソースといったときに、これは基本構想だけではなくて「きちっと脇のしまった散文」というものが、心得としてではなくて結果として人々の旨に刻まれればよい。そのためにはどうしたらよいか、フォーマットとして著作者は希薄でもなりたつようなもの、あえてパッケージに別のウエイトを置くというふうなひとつのこころみではあります。


1999/05/03

 「なんちゃって中村光夫文体」というのを今日さっと思いついてその考えが、また通り過ぎてゆきました。ボードレールの全集の月報で中村光夫は、ヴァレリーがボードレールを大詩人として見なかった、彼はあくまで小詩人であり、ボードレールもそれにならったというような事を書かれました。池山さんが小説のはじまりをドンキホーテではなくてボードレールがポオを紹介した時とするという独特な説もそれにつながってゆくような気にはなりさえしないかというようなところで、これから大阪へ旅に出るようです。

1999/5/9 日本人の方でスライ専門のサイトというのを未だ見付けられないでいるのですが、今日も少しずつ探索を続けスライ後期のレヴューをされている方を発見いたしました。やはり後期の人気が高いような気がいたします。 ラリーグラハムのインタビュー翻訳を期にニフティー辺りに宣伝をして、矢崎ページスライの係始動というふうな予定でございます。

偶然タツノコプロダクションの公式サイトしかりより詳細なタツノコサイトであるところのタツノコファンクラブがこちらにあります。このページのリンクから他のタツノコへ突入するのが宜しいかと存じます。タツノコは偶然今日耳にしたので、これからどう派生するかは未定ですが、公式サイトの笹川ひろしさんのインタビューなど興味深いものもあり、さらにタツノコファンクラブのLDリストの一番下に詳細不明のモスピーダが含まれているなど、郷愁を誘わずにはいられないかもしれません。

1999/5/10

仁和寺関係の洗い出しを行いました
http://iij.asahi.com/paper/special/hana/ninaji1123.html
http://home4.highway.ne.jp/mancha/travel/kyoto/photo/ninnaji.html
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/ninnaji/rekisi.html
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/ninnaji/
http://www.joho-kyoto.or.jp/~media/ninnagi.html
http://www.root.or.jp/sanesok/onk037.html

1999/5/11
仁和寺現時点でのベスト
http://www2.osaka-sandai.ac.jp:8080/orion/jap/hstj/ukyo/ninnaji.html

5/24

 はやいものでもうページやろうとおもいついて一と月がたとうとしています。ウトウトしているうちに時間は経ってしまうものですがネットサーフィンの癖もようやくついてまいりまして、結婚予定日としている六月一日にはなんとかたちあがりそうでございましたことよ。
 現在かかえている大きな計画はなにをかかくさん中野重治御大でございます。それからマイルスデイビス、デビットリンチとつづきウイリアムバロウズなどネットサーフィニング人物ができあがりまする。
 しかし単なるそーゆーことだけではなくて、元来狙いをさだめている数学、流行歌もお金が貯まり次第テイクアウトしてゆくかたちに希望をもって生きています。
 それから散文もございましょう。和歌大将(改めつらゆキング)もございましょう。
一大事でございましょうし、大騒動でありましょうよ。まる。

6/2

見事に落としました。まだまだできあがりま千円。そろそろリンクを勝手にはらせていただいているところにはことわりを送ろうかとも思いましたが。どうせなら見栄えがよいほうが宜しいので、もし来訪されたかたがいらっしゃいましたらそういう理由からなのでご了承下さい。 [EOF]


矢崎ぶくろリンクダイアリー散文 ■矢崎しげるのしげしげワイド ■おたより募集告知[EOF]

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註)このページのオープンは1999年の7月一日です。(メールでのご連絡はyazaki@suiyokai.orgまでご一報下さい)
このページはリンク自由ですがトップページにリンクをはるのは恥ずかしいのでやめてください。
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