足を挫いた。-2

 日暮里駅で電車を乗り換えようとして階段を降りている時に別に躓いた訳でも
ないのになぜだか足を挫いたらしくてひどく痛み、その日一日まともに歩くこと
が出来なくて結局友達に会いに行くのは止めにしなければならなくなった。

 痛む足で何とか歩いて行く駅の中はただ騒々しくて広告の看板がけばけばしく
目を引いてもそれが何なのか輪郭がぼやけていてよく解らないまま胃がむかつい
て来るので、売店でアイスクリームを買うとそれを持って男はベンチに腰を降ろ
した。こういう時には空が晴れているのかどうかも解らないし、風が吹いてそれ
が頬に触れても風が吹いたということは思わなくて、アイスクリームが蓋の剥し
たのに薄くひっ付いているのを見てようやく一息付けたという感じがする。多分
今は平日の昼間でそういう曜日とか一日の間の変遷というものとは大分前から縁
が薄くなっているように男は感じて、これは季節ということでも同様である。実
際にアイスクリームが端のほうから溶けて軟らかくなって行くのを見てもそれで
気温が高いのかどうか解らなかったし、そもそもこのアイスクリームの蓋を空け
てからどのくらいの時間が過ぎたのかについても男には確信がなかったし、電車
が走って行く音が聞こえると自分が恐怖を感じていることに気が付くが、いった
いその恐怖をいつから、何が原因で感じているのかが思い出せない。
 電車が走って行く音の、その単なるでかいだけの音のほうに対して恐怖してい
るわけではなく、そう考えるとならば音にだけ驚ければそれでいいような気もす
るが恐らくその恐怖というのは果たしてこの電車といういきものはどういうつも
りでこんなうぶごえをあげるのかとかいう、体をなさない考えにゆえんしている
ような気がする。
 もうすこし思いを越して考えるならいったいその恐怖は、例えば女がわめきた
てるその声は小さくささやくようなのに、変に雄弁でなぜ女がわめきたてるのか
がさっぱりわからない、さっぱりわからない女の声はでも確固たる場所を握って
いて例えば意味をなさないことばでも天ぷらにころもがつくように粒状のものや
波状のものがまとわりついている。もちろんそんなものは電車の音と同じで体を
なさないから、女の頭はくたびれたキャベツみたいだという。
 そういうキャベツみたいな頭をした女のことを駅のベンチで殆ど瀕死の状態に
陥っている頭で考えていると他人というのが男のまわりを囲んでいる平板な壁の
ようなものになってくる。個別にそれぞれの人間の顔を見れば見分けることは出
来て、隣にいる人間とその人間が違うものだというのも解っても、結局どこか似
ているその二人の印象から安心してしまって違った所のある二人だという所まで
心配が及ばない。会社員ふうの男が電話で話しながら前を歩いていくだけなら、
その男がいるというだけで済むのに、どうしてまた同じような恰好をしたのが同
じようなことをしながら歩いて行くのかといぶかしく感じるが、残念なことにそ
の考えも途中で音もたてずに折れ曲がった。
折れ曲がった考えかたも痛む足も汗をながしながらこらえるでもなくただ一人ベ
ンチに腰をおろすのが関の山で、どうしてまた同じような格好をしたのが同じよ
うなことをしながら歩いていくのかという考えが、同じように喫茶店に座ってい
る若い男のことをかんがえる。
 喫茶店に入った若い男が髪の長い女の店員に声を掛けて二人は見つめあってし
ばらく時間が過ぎ、次の場面では女の部屋のベッドの上で二人は抱き会い、その
次の場面では朝になって白いシーツの中で二人は眠り、何年か経つうちに結婚式
をあげて家庭を持ってまたしばらく経ち、そのうちにお互いにどうということが
ある訳ではないが自分たちの生活がうまく行っていないのを感じていつしか別々
の暮らしをするようになるということを男は考えてみる。すると女がそれは違っ
て人生というのは単純なもののはずであるということを言う。そう言ってしまう
と女は堰が切れたように声をあげて泣き出して、私が今のような私であるのは結
局のところ私の責任だし、振り返ってみればやりたいことをやりたいようにやっ
て来たことには悔いがなくて、あるいは後悔するのは死んでからでも遅くはなく
て、こんなことをしていれば遅かれ早かれ死んでしまうとあなたは言うけれど子
供の頃から病弱だった私はこんな年になるまで生きているとはとても想像出来な
かったし、ただ家に帰る途中で歩きすぎて駄目になってしまった靴をそのまま履
いているのが嬉しくなって来て自分が畑に生えているキャベツみたいに思えたの
で何だかとても気分がよかった。

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