バフチン小説の言葉


バフチン小説の言葉

「小説の言葉」とは、小説の文体についての言葉である。

20世紀になるまで小説の文体論というのはなかった。

1920年ごろになると小説の文体を考えるものもふえてきた。

普通小説の文体は基本的なつぎの5つの文体にわけられる。

従来の伝統的ともいえる文体の考えでは、この様々な階層をもっている小説の言葉というものを同時に考えることができない。

その「ことば」はすべて言語学上の成果として言語学にすべてかっさらわれる。

伝統的な文体論、詩の文体論では、文体の統一というものが必要不可欠であると考えられている。

伝統的な文体論というのはこれまでにたとえば「イメージ」とか「個性」とか「シンボル」とかいった言葉でものごとをさししめしてきた。

詩の文体論をふまえない考え方としてあるのは、たとえば文体をより古典的に考える事である。

もしこの修辞というものに対して先入観をもたず我々が検討すれば、小説のあらゆる諸側面が、はっきりとした形で開示される
ヨーロッパの小説の持つ、限定された言葉のイデオロギーの経緯

一見すると言葉を代表し、芸術的言葉のすべてを包括するような詩の言葉は、歴史の過程とともにある限定されたイデオロギーを持つ。

ヨーロッパの詩的言葉、イデオロギーは、つねに統一し中心化する方向へと向かっていった。
詩の言葉と小説の言葉

他者の言葉、異なった階層にある他者の言葉との対話は、我々に重要な散文的芸術性というものを見せてくれる。
小説の言葉の日本の仲間たち

夏目漱石「文学論」
吉本隆明「言語にとって美とはなにか」
中村真一郎「文章読本」
江藤淳「作家は行動する」
柄谷行人「近代日本文学の起源」
中村光夫「風俗小説論」
森敦「リアリズム1.25倍論」